四季めぐるの評論日記

自分の好きなことを書いていきます

『海辺のエトランゼ』聖地巡礼紀行 ~沖縄のエトランゼ~

海にて
 私は沖縄の海辺に立っていた。青い空と高い雲。海の向こうには島があり深青に染まっている。真ん中にはエメラルドグリーンの海。まるで筆で絵具を弾いたように所々に群青がちりばめられている。そして、手前にくれば不純物を含まない無色透明な水。それらがグラデーションとなり、白い砂浜というキャンバスに描かれていた。沖縄・那覇泊港から高速船で50分。たどり着いた座間味の海はそれだった。この世のものとは思えないほどの透明度だった。この海を駿と実央は見ていたのだ。

 20分ほど前、私は座間味島へと降り立った。座間味島、映画 『海辺のエトランゼ』の舞台となった沖縄の離島だ。私は1泊2日で沖縄を訪れた。目的はもちろん映画にでてきた場所を巡るため。いわゆる聖地巡礼だ。那覇泊港から高速船クイーンざまみで外洋へでて、黒い海を進む。それは光を通さない死を感じさせる海だった。私は恐怖した。思い出せば、私は船で外洋に出たのは初めてであった。果たして、初めてこの海を渡った人はどんな気持ちだったのだろうか。この死を漂う海の先になにかあると期待を抱いて渡ったのだろうか。そんなことを考えている内に、船はあっという間に、座間味へと到着のアナウンスが流れ出す。
 ほんの少し前まで地平線まで黒い波が包んでいたのに、島が見えると青く座間味ではない。島に気を取られている間に私は下を見た。さっきまで黒かった海がマリンブルーの色になっている。私は思わず身を乗り出した。いや、実際には窓があって身は乗り出せなかったのだが、そのきれいさに引き込まれた。
 海に見とれていると船は座間味港へと泊まった。この船乗り場は桜子が降りてきていた。目の前を見るとびっくり。駿が自転車で通っていた建物が見えるではないか。後でよく見て見たら違っていたのだが、私には座間味にきたということに高揚し、そんなことどうでもよかった。オレンジの壁があるという事実だけで興奮した。 
さて、座間味にきたは良いもののどこに行くか決めていなかった。いや、行きたいところはピックアップしていたのだが、どのような順番で行くかを決めていなかった。私は、駿が自転車で通った(と私が思い込んでいた)場所から反対方向に向かうことにした。つまり、駿と反対の道に向かうことで、京屋がどこにあるのか特定しようとしたのだ。
 私は歩いてその道を辿ることにした。日差しは照りつけるが暑いと言っている場合ではなかった。左には美しい海が、右手には山があった。道なりに進んでいくと坂が見えてきた。
 すると、前から黒いタンクトップをきた島民らしきおじさんが自転車に乗って通り過ぎていった。しまった。私もレンタサイクルを使えばよかった。そうすれば、駿と同じように回れたのに。それに離島でのサイクリングとはなかなか乙なものである。
そんなことを思っていると坂が見えてきた。その坂を登っているとふと思った。ここはもしかしてと振り返ってみると、くだり坂は、左手にカーブしていて、その先には相変わらず美しい海が見えていた。そして、法定速度30キロの道路標識と電柱。
 そう、ここはあの坂道だ。駿が自転車で野菜を取りに行って時に通った場所だ。坂を見ただけでここまで満足感があるとは、坂を写真に収める。それとは対照的に車がいくつか通り過ぎていった。

 坂を超えると豊かな自然に囲まれた集落が見えてきた。集落の左手にあるのが、その海だ。そして、その海に私はいま入っている。ここは阿真ビーチというらしい。私が着いた頃にはもう何人かの先客がいた。水着をきた男女がシュノーケリングを、またある人は海岸沿いにシートを敷いて休んでいた。みんな思い思いに遊んでいる。ただ、一人で来ている観光客は私以外いない。私を知っている者はここにはだれもいない。私は沖縄のエトランゼであった。
 この阿真ビーチが場所から言っておそらく京屋のある海岸だろう。だた、ビーチと言うだけあって海岸には木が植えられており、家に面しているわけではない。京屋のような古民家の民泊はなく、コテージがあるだけであった。
 いつみてもこの世の物とは思えない海の色だ。このような色をケマラブルーというらしい。なぜこのような色になるのか。どうやら透明な水と白い砂浜がポイントらしい。透明な水だからこそ太陽光の内、青色だけ海底に届き、白い砂浜に反射して美しく見せるのだ。
 私は水着を持ってきていなかった。今回私は聖地巡礼で訪れていたため、海は入らなくてもよいだろうという判断だ。しかし、これほどまでに海が綺麗だとさすがに入りたくなる。私は裸足になってズボンを捲りあげた。そして、海へと入った。砂浜には貝殻がたくさん落ちていて、足の裏に容赦なく刺さる。しかし、海に入ってしまえば冷たい水と柔らかな砂が私の足を包み込んだ。足は砂の深くまで入りこまない。足の指が少し隠れるぐらいだ。海に入れば入る前よりも海と近くなった気がした。まるで海と一体化しているような感じがする。海は高速船で見た海とはうってかわって死の恐怖はまったくない。やさしく穏やかな海。さざ波が私の足をやさしくなでる。私のすべてを受け入れてくれるような気がした。気がつけば私は濡れることをあまり気にしなくなってギリギリの所へ来ていた。しかし、波は容赦なく私のズボンを濡らした。結果、思ったよりも濡れてしまった。私は思う。夜の海はどんな感じなんだろう。実央が見ていた海は光の届かない暗い海だ。夜の海も見てみたい。夜の海を見る実央は限りなく死に近い。その時の感情は続編の「春風のエトランゼ」で語られる。ここでは触れないが、実央が見ていた黒い海が死を象徴しているならば、昼の海は生命力あふれる海だ。
 さきほどこの海のきれいさは太陽光が届いているからだといった。透明な水に満たされ、海水に太陽の光が照らされて海底まで届く。光が届いていて海底が見えるから美しいのだ。見えるからこそ生物たちの生命力を感じる。ならば、光の届かない夜はどうだろうか。高速船から見た外洋は海底が深すぎるから光が届かない。だから黒い。その底知れなさに恐怖したのだ。光を失った夜の海に残っているのは、そんな恐怖なのだろうか。今回の旅では夜の海を見ることはできなかった。だが、おそらくそうなのだろう。海は生と死を象徴する場所だ。両義性を内包している。この白い砂浜は貝殻が波に砕かれ、それが蓄積してできたものだ。つまり、貝の死がこの美しい砂浜を形作り、美しい海と豊かな生態系を形成している。まさに生と死だ。そんな場所でふたりは出会ったのだ。だから、こうはいえないだろうか。両親をなくし絶望して海を見ていた実央はいちど死んだのだ。しかし、海を見ていたからこそ駿と出会い生まれ変わったのだと。

座間味にて
 私はバスに乗って座間味港へと戻った。次に島宿あかばなーへと行く。島宿あかばなーとは、京屋のモデルとなった宿で、沖縄の古民家を改装した民宿だ。カフェかふーし堂も併設されていて、これはぜひ行かねばと思っていた。昼食にちょうどいい。
バスは座間味港フェリー乗り場前に停める。そこからまっすぐ進むと横断歩道がある。この横断歩道を渡るとすぐに一本道がある。座間味のメインストリートらしい。といっても道幅はあまり広くなく、車一台が通れるほどである。この道をまっすぐ進む。民家や民宿が立ち並び、石垣に囲まれた実に沖縄らしい光景である。
やがて黄色い建物と赤瓦の屋根が見えてきた。この赤瓦の建物の奥に民宿あかばなーがある。ああ、本当に来てしまった。憧れていた宿が今、私の目の前にある。鼓動が早くなった。興奮と緊張の中、私は入っていった。

 民宿あかばなーは沖縄の母屋を利用した民宿だ。その横に、かふーし堂はある。入口には看板があり、みやこカフェのようであった。奥に進むと、何やら鉄の棒が母屋を囲むように立っていた。屋根にはブルーシートがかかっていてよく見えない。どうやら、工事中らしい。そのせいで外見はあまりよく見えない。残念に思いながら、道を進む。石垣を抜けると庭が見える。ここに母屋が立っていた。すると、母屋の縁側に座ってアイスを食べている男性がいた。ひるむ私。宿泊客だろうか。なんと言葉をかけようか迷っていると
「どうぞ、中に入って」
と男性に促され扉を開けた。クーラーの冷気が身体に当たる。うわ、涼しい。柱と梁がむき出しの店内。白い壁と張り巡らされたポスターが私を出迎える。奥からスレンダーな女性が出てきた。黒いタンクトップを着ていてなんとも夏らしい服装だ。女性と目が合うと固まった。なんとも言えない雰囲気。ひるむ私。なんと言葉をかけようか迷っていると、
「いらっしゃい」と店員。
安心した私は2人が手前の席に座る。その上にテレビがありテレビの音声が流れている。平日の11:00によく流れている通販番組だったと思う。店内は非常に小さく2人席がわずか4つしかない。まだ昼前というだけあって客はわたし一人しかいなかった。
ここに来たら頼むのはもちろんタコライスだ。映画でも観光客がタコライスを注文していたからだ。映画ではカレーも注文しているのでカレーも食べたかった。しかし、注文しすぎるのも恥ずかしい。タコライスだけにした。ちなみに映画ではおばちゃんカレーだが、ここではトマトチーズカレーであった。
店員さんに注文した。すると、「ドリンクはどうされますか」と聞かれたので、せっかくならばと沖縄らしいグァバジュースを頼んだ。そして、カフェの入って左手にあるキッチンでジュースを作りはじめた。作中ではおばちゃんが料理を作っていたキッチンだ。
先ほどの気まずさを取り返すように、店員さんは気さくに話しかけてくれた。
「暑いですね」と店員さん。
「ほんとにそうですね」
「どちらから来られたんですか」
「○○から」
「○○、また遠いところから。乗り継いで来たんですか。直行便とかあるんですか」
「直行便があるんですよ」
「へー。あるんですね。おひとりで来られたんですか」
「そうです」
「最近、男性でも女性でも一人旅多いですよ」
「あっ、そうなんですね」
「いつ座間味に来られたんですか」
「今日です」
「あら、そうですか。じゃあ今日はどこか泊まられるんですか」
「いえ、今日帰るんです」
「あらー、帰っちゃうんですか」
「そうなんです。昨日那覇を観光して。それで今日の朝こっちに来て。今日帰っちゃうんです。休みが二日間しかとれなくて」
「えー、弾丸旅行じゃないですか。じゃあ今日の最終便で那覇へ?」
「いや、14:20の便で帰るんです。飛行機の時間的にそれで帰らないと間に合わないので」
「14時!?じゃあこれからビーチいったりって感じですか」
肯定する私。
「14時か。今11時でこれから昼食べて、海いって…うん大丈夫ですね。」
店員さんはグァバジュースをもって来た。
「はい、グァバジュースでーす」
「ありがとうございます」
でてきたグァバジュースを写真を撮ることも忘れて飲む。暑さでのどがカラカラだった。しかし、慌てて写真を撮る。タコライスと一緒に撮りたいからすこしは残しておかないと。そんなことを考えていると店員さんは奥にはけた。どうやら、このカフェでは飲み物など簡単なものは表でつくり、料理は裏のキッチンで作るらしい。タコライスを作りに行ったのだろう。私は、カフェをまじまじと観察した。木造建築の枠組みが途中で壁に埋まっている。おそらく、部屋を改築したのだろう。奥を見れば、なんとエトランゼのポスターが飾ってあった。そうこうしているうちに、お姉さんがタコライスを持ってきた。

「はい、タコライスです」
「ありがとうございます。」
白い器に載せられたシンプルなタコライス。レタスと真ん中にミンチとサルサのかかっている。サルサの酸味がさっぱりしていて暑さで弱ったのどを通る。店員さんがいう。
「実は入ってきた時、オーナーの友達にすごい似てて」
「あはは」
「あれ、どしたんって言おうとしたんですけど。いや、お客さんか?あっやっぱりそうかってなって」
「あ、そうだったんですね」
なるほど、さきほどの変な間はそれだったのか。
私はタコライスを黙々と食す。このときのために朝食は控えめにしたのだ。
ごちそうさまでした。美味かった。みやこカフェにきたようだった。さて、お会計をしようとするが店員は見当たらない。奥にいるのかと思い、奥を覗いてみた。奥は調理スペースと物置らしい。缶詰や調味料がたくさん置かれていた。しかし、誰もいなかった。電子レンジに反射した私が写っていた。
さすがに探しに外に出ていったら無銭飲食だよな。店員さんと合流できればいいが、もし合流できなかったら完全にアウトだ。いくら言い訳しても店側からみたら無銭飲食だ。どうしようかと焦っていると店員が戻ってきた。良かった。
「あら、もしかして私を探してました。」
はいと私。
「ごめんなさいね。洗濯物干してました。」
お会計を済ませて外へ出ようとした。しかし、私の足は止まった。ここを出てしまったらもう来れない。せっかく来たのだ。ここで終わらせるにはもったいない。もっとここにいたい。
「実はこういう沖縄の古民家に興味があってここに来たんです。向こう側も見て言っていいですか。」
思わずそんな言葉がでてきた。
「あっそうなんですか。」
するとお姉さんは店の中を説明してくれた。

「ここも古民家を改装したものなんですよ。ほら、古民家の面影が見えるでしょ。ここにキッチンあるでしょ。」
店員さんはカフェ部分にあるキッチンを指さした。
「実はここはもともと縁側だったんです。それをむりやり増築してスペースを確保してるんです」
「へー、そうなんですね。」
なんとそうだったのか。ここでしか聞けないマニアックな話にテンションが上がる私。
店員さんはいう。
「民宿もやってるんですけどね。」
「ほんとはここに泊まってみたかったんです。でも、いろいろあって泊まれなくて」
「あらー残念。実はいま屋根の修繕中で民宿お休みなんですよ。それで職人さんに直してもらってるんです」
なんと休業中だったのか。だから工事してたのか。
「また、来年とかにでも来てくれれば」
「そうですね。またリベンジにきます。」
「うん、もし疲れたらまた休憩しに来てくれていいから」
「ありがとうございます。」
民宿をゆっくりと見ることにした。なに、予想外の展開になった。民宿あかばなー兼かふーし堂の庭。おもっていたよりも小さい。いまは工事中のためテラス席は映画のようにはならんでおらず、端に置かれていた。
母屋の向かって左側3分の1がカフェになっており、残りが部屋になっている。部屋はふたつあり、駿と実央の部屋のようになっている。おそらくここが民宿部分なのだろう。先ほどアイスクリームを食べていた男性は右の部屋、映画でいうと実央の部屋にいた。実央の部屋である。男性もまた気さくに話しかけてくれた。
「よかったらそこのイスでゆっくりしていってください。」
 なんとこれは予想外の展開。断るわけにも行かず、お言葉に甘えることにした。
男性は部屋に置いてある畳んだふとんにもたれ掛かって、ゆったり過ごしていた。部屋はまさに実央の部屋である。畳の床に奥には収納スペースらしきものが見えた。ちなみに駿の部屋は雨戸によって隠されており中を伺うことはできなかった。
母屋の奥に鳥居があり建物がある。その前がスペースとなっておりイスもそこに置いてあった。そう。鳥居だ。前回京屋の間取りを特定した際にあった謎の鳥居だ。
 私はイスに腰掛ける。イスの背もたれが倒れる仕様らしい。しかし、まったく倒れず苦戦する私。見かねた男性がこちらに来てくれた。こんにちはと挨拶する男性。椅子に座ったままあいさつし返す私。かなりシュールな光景である。男性の手伝いもあってなんとか背もたれを倒すことに成功した。男性は言う。
「まるで宇宙に浮かんでいるような座り心地ですよ」
おそらくこの男性がオーナーなのだろう。
オーナーにお礼をいい、しばらく椅子で休憩しながら、島宿あかばなーを観察した。鳥居の奥には小さな建物がある。もし神社ならば本堂ということになるだろうが、いかんせんそんな感じはしない。赤瓦の屋根にアルミの横開きのドアが取り付けられている。どちらかと言うと物置だろうか。後からこの鳥居はなにかときけばよかったと後悔した。屋根にはヘルメットをかぶった職人がいて屋根の修復作業をしていた。

  屋根の上には扇風機がおかれ熱中症対策は十分だ。瓦の一部が取り外され下の木材が見えていた。屋根を支える柱は、年季が入った趣のある木がその屋根を支えていた。そろそろ、ここを離れる時間だ。私は島宿あかばなーを後にした。やさしくおおらかで、しかし自由な時間だった。
 次に私は、一〇五マートにきた。といってもあかばなーの手前にあるのだが、ここも映画に出てきていた。絵里が実央に話しかけるシーンだ。作中では一〇六マートだった。実央が立っていた。彼はどんな気持ちでたっていたのだろうか。一〇五マートでアイスを買う。あまりにも暑すぎるからだ。思い返せば、実央はガリガリ君らしきアイスを食べていたっけ。私もガリガリ君を買えばよかったと後悔。店の前のベンチに座ってチョコアイスを食べる。目の前には民宿あかばなーがある。さきほどの体験を心に留めておくかのようにずっと眺めていた。黙々と食べ続け、アイスは溶けないうちに私の胃袋の中に入っていった。

 アイスを食べ終わった私はおそらく座間味の最後の観光になるであろう場所へと向かっていた。それは大浜。これでウハマと読むらしい。座間味村から離れた山を隔てた場所に阿佐地区という町があり、そのさらに奥にある海岸だ。もう阿真ビーチに行ったのに、なぜもういちど海岸へ行くのか。実はこの大浜には海岸にベンチがあるのだ。直接関係あるわけではないが、映画『海辺のエトランゼ』の公式Twitterにロケハン画像として写真が上がっていたいたのだ。
これはいくしかない。しかし、問題があった。私が今いる座間味港から大浜まではかなりの距離がある。車では16分ほどで行けるそうだが、タクシーはコロナで休業中。レンタカーもあるが私はペーパードライバーである。正直運転が怖い。こんなところで事故なんて起こしたら間違いなく飛行機に乗り遅れるだろう。では市営バスはどうだろう。これも時間の関係上、高速船の時間に間に合わない。それに大浜の途中、阿佐地区までしかいかないので、いずれにせよかなりの時間を歩くことになる。ここから徒歩でいけば片道一時間はかかる。なんだかんだでもうすぐ12:00を回る。行って帰ってぎりぎりだ。それにこの炎天下の中2時間も歩けば間違いなく熱中症になるだろう。そうなれば高速船に乗り過ごし飛行機も乗り過ごす。ではレンタサイクルはどうだろうか。全力でこげば間に合うだろう。自転車をこいている時は、空気抵抗で風が当たるため涼しい。レンタサイクルしかなかった。私はレンタルみやむらというレンタルサイクリングの店に向かう。といってもいわば無人の店で民家の庭先に自転車が置いてあり、借りる時間分のお金をポストに入れるというシステムだ。どうやら先にお金を入れるらしい。2時間200円、4時間で500円だった。2時間あれば問題ないだろうが、念のため4時間にした。黒い普通の自転車をレンタルし、急いで大浜へと向かう。電動自転車が欲しかったのだがなかった。Googleマップを開き道を確認する。どうやら座間味港の集落の中を抜けて山道を通っていくらしい。私は集落の裏道を駆け抜けた。石壁に囲まれた狭い一本道を通る。石垣から飛び出た木が木漏れ日となって私を照らした。風も当たって気持ちがいい。これはいい。私は集落の端まで来た。ここを左に曲がり道なりを進むらしい。
 曲がった先にあったのは、とてつもない急傾斜の上り坂であった。山に反ってカーブしていて、先が見えなかった。地獄の坂だ。私は怖気ずく。しかし、やるしかなかった。私はまるで飛行機が離陸するときのように速度をあげ坂へと発進した。しかし、坂を登り始めた途端。急に重力が私に襲いかかった。
「ぐっ」
私も負けじとペダルをこぐため足に力を込める。あがれ、あがれ。
しかし、ペダルはビクともしなかった。
私は諦めて自転車を押すことにした。しかし、沖縄の太陽が私に襲いかかる。尋常ではない汗が吹き出す。身体はあっという間に汗水に包まれた。シャツと肌の間に熱気がたまり茹で上がったかのような感覚に包まれた。肩にかけてある手ぬぐいで必死に汗を拭う。だがそんな努力も虚しく拭ったところがすぐ汗に浸食されてしまう。
大浜に行きたい。ベンチを見たい。それだけで私は坂を登り続けた。しかし、悲しいかな、ふらふらとし始めた。私の苦労とは裏腹に市営バスが通り過ぎていった。あのバスは大浜へ行くバスではない。手前の古座間味ビーチに行くバスであった。やっとのことで坂を登りきった私。そこは展望台になっていて、海が見えた。相変わらずキレイな海だ。下り坂を降りると古座間味ビーチだ。
 いったん休憩し、さあ行こうと思い、右手を見ているとそこには上り坂があった。絶望とはこのことを言うのだろう。私は悟った。これは無理だ。死んでしまう。私は泣く泣く諦めなければならなかった。後悔が積み重なっていく。今度また来よう、そう思った。私は来た道を帰ることにした。すると、先ほどのバスが座間味港へ戻るため、私の目の前を通り過ぎていった。

 私は「青のゆくる館」で涼を取っていた。青のゆくる館とは、座間味港から集落に向かってすぐにあるビジターセンターだ。私が駿が自転車で通り過ぎたところと勘違いしたところである。館内はクーラーが効いていて清潔。奥にはカフェもあった。先ほどの坂事件によりいまだにふらふらする。たぶん熱中症になりかけだったと思う。引き返して本当によかった。倒れて診療所に担ぎ込まれていたら目も当てられない。
 ここはかふーし堂の店員さんに教えてもらった場所だ。レンタサイクルを返し、急いでここに避難したのだ。店員さんのお言葉に甘え、かふーし堂にいってもよかったのかもしれないが、こちらの方が近かったのだ。一刻も早く冷房の効いた室内に避難せねばならなかった。しかし、これからどうしよう。時刻は13:00前。案外と時間が経ってないと思うかもしれない。実は距離的にはそこまで進んでいなかった。わずか短時間で熱中症を引き起こさせる直前までいくとは、沖縄の太陽は恐ろしい。
船までまだ一時間ちょっとある。まずは十分に休息を取るべきなのはもちろんとして、これからどうしよう。熱中症になりかけた手前、外へ出てなにかするのは現実的ではない。クーラーの効いた室内での活動に専念すべきだろう。残りの時間はお土産を買うことに専念しよう。近くのお土産屋は座間味港にあるらしい。体調も回復してきたことだしそこへ行くことにした。座間味港へは歩いて1分もかからなかった。



 すると港にフェリーざまみ3号が止まっているのが見えた。そう、桜子が離島から帰るとき、このフェリーに乗って帰ったのだ。エトランゼ関連のものが見えて私のテンションも上がった。お土産を買った私はフェリーを観察することにした。フェリーは思ったよりも大きくない。客室はおそらく3階に分かれており全体は白と思いきや、すこし青がかっているだろうか。船体のしたにはオレンジ色でZの文字が船体の端から端まで描かれている。おそらく座間味のZだろう。その船が座間味の港に停泊している。桜子が「あなたじゃないわよー」と大声で叫んだ船だ。そして、私が立っている場所が駿と実央が見送った場所。港の出入口も見てみることにした。地元の漁師さんだろうか。ちょうど小さな小型船が港を出ていくのが見えた。それにフェリーを見送る駿と実央を重ねた。



 するとだんだんと駿に腹が立ってきた。桜子もかわいそうだし、恋人が目の前でキスしようとしたらそりゃ怒るだろうと思った。しかし、駿本人は「帰って寝よ」である。なんて他人事なのだろう。ビンタのひとつもしたくなる。しかし、駿は平手打ちされた理由がまったくわからないのだ。駿はなかなかのクズ男である。いや、誤解を招くようだが私は駿は好きである。自分のことしか考えてないからこそ駿らしい。駿の自己中心さこそが実は重要だったことが後に明かされるのだが、それはまた別のお話だ。

 

時刻は14:00を回った。乗り場の待合室からアナウンスが流れる。
「まもなくクイーン座間味が入港します。お乗りになるお客様は乗り場にお集まりください。」そのアナウンスは旅の終わりを告げるものであった。こうして、座間味の旅は終わった。高速船がゆっくりと港へと入ってくる。
 この船に乗って駿と実央は本島へと向かう。私は駿と同じ窓際の席に座る。後ろには自動販売機があった。そういえば、実央は駿に、ペプシコーラを買っていたっけ。船に乗り込んだ私は席を立ち、自動販売機へ向かう。残念ながらペプシコーラはなかった。代わりにコカ・コーラを買う。実央はあらためて気遣いのできるいい子であると思った。二人はかなりバランスのとれたパートナーなのだ。そんなことを思いながら、エンジンの振動が伝わる。船が離岸する。そして、方角を変えゆっくりと港を進む。いま船はエメラルドグリーンの海に船跡を刻んでいるのだろう。

那覇にて
私は那覇国際空港へと降り立った。飛行機に乗って数時間。あっという間だったような気がする。宿泊を伴う旅なんて久しぶりだ。コロナ禍になってから一度もいってないから3年ぶりか、それ以上だ。空港の荷物受け取りの列を通り過ぎた。今回は1泊2日だし肩掛けカバンで充分だろうと思い、荷物は預けていなかった。外に出ると白を基調とした空間が広がる。空港というだけあって人もたくさんいる。出入口には水槽があり、ナンヨウハギやほかの魚たちが旅行客を出迎えている。ここにも聖地巡礼スポットがある。駿は空港便を出しにこの那覇空港へと訪れているのだ。つまり、航空便の受付があると睨んでいるのだ。とりあえず、ここを探索することにした。空港の出入口側にずらりと観光案内所や宅配便受け取り場所がずらりと並んでいる。間違いなくこのどこかに駿が出した航空便があるのだ。その時、人だかりができているのが見えた。四角いブースの上部に手荷物一時預かりと書かれてある。そして、クロネコヤマトのロゴが見えるではないか。ここだ。ここが駿が航空便を出していた場所だ。人が多いからまじまじとは見つめられないが、それでも思わず写真に納めたくなる。人通りも多いし、帰りも来るからその時見ることにしよう。

私は出入口にたった。さて、どうしよう。エトランゼの聖地巡礼にきたとはいえ、本島での聖地巡礼国際通りが主である。比較的余裕がある。どこへ行こうか。いやとりあえず国際通りに行ってみよう。私はバス乗り場へと向かった。しかし、バス乗り場が多すぎてどれがどれだかわからない。そう。国際通りの行き方を調べていなかったのだ。うーん、全くわからない。頼りの綱であるGoogleマップを見てもどの乗り場にバスが止まるのかわからない。これかと乗りかけると、どうやら特急のバスで、どうやら国際通りにはいかないらしい。慌ててきびすを返す私。沖縄に来てさっそく不安が募った。
 しかたないので、観光案内所の人に聞いてみることにした。観光案内所の人は国際どうりのマップを広げ説明してくれた。どうやら、空港から国際通りへ行くにはバスかモノレールがいいらしい。国際通りの中までいくならバスがおすすめです。といわれ、バス停まで教えてくださった。お礼をいい、再びバス乗り場へ向かう。ふと、思い出した。そういえば駿はモノレールに乗ってなかったか。航空便を出した後、モノレールに乗って、駿は国際通りに向かっている。これはモノレールに乗るべきだ。丁寧に教えてくれた案内所の人には悪いが、モノレールで行くことにした。まずモノレール乗り場を探さなくては、と館内を歩いているとモノレール乗り場の文字が。どうやら2階にあるようだ。エスカレータ―に乗って2階へ。出口をでて連絡橋を道なりに歩くとすぐにモノレールの駅に着いた。幸いなことにモノレールは停まっており、すぐに出発した。モノレールの車内は普通の電車とほぼ変わらない。観光客用の荷物置き場があるのが、観光地らしい。しかし、私は大興奮だった。スマホを立ち上げエトランゼを見る。駿が空港便をだしたあと、このモノレールで国際通り方面へ向かっている。
私は駿が車両内にいた同じ場所に立ってみる。ドアのすぐ近くだ。駿はここから同じ景色を眺めていたのか。私は駿になったような気がした。後ろから見えるモノレールの経路がどんどんと後ろへ伸びていった。空港を離陸する飛行機もまた離れていき、やがてビルの影に隠れた。

 空港からモノレールで国際通りへ向かう場合、県庁前駅か牧志駅どちらかで降りる。すると、全長約1.6kmにわたる国際通りの端と端の入口へつく。
 私は県庁前駅で降りた。駅を降りて少し歩けば国際通りだ。沖縄の日差しは強い。見上げてみると空は高く青い。見上げてみると真上に太陽がある。日差しは刺すように鋭い。時刻は11:00。少し腹が減った。まずは、腹ごしらえといこうではないか。それにどこか涼しい場所に入りたかった。
 しかし、どこにいこうか。国際通りでよく見かけるステーキハウスに行こうか。それとも沖縄料理店へ向かうか。記念すべき沖縄での初めての食事。沖縄らしいものを食べようではないか。沖縄料理店にしよう。こういう店は事前に調べていくよりたまたま目に入った店や現地に着いてから調べるなど偶然性を重視した方が楽しい。完璧に探そうとすると視野が狭まってしまう。それにハプニングも旅の醍醐味だ。
「とぅばらーま」という沖縄料理店に行くことにする。どうやら国際通り牧志駅付近にあるらしい。結果的に私は国際通りの端から端まで歩くことになった。ようやくついたときには汗だくで、くたくただった。沖縄料理店だけあって内装も沖縄らしい。なんと室内に古民家風の建物がありそこで食べることもできる。しかし、私は店員さんに促されるまま席に座ってしまった。どうせなら向こうで食べればよかった。私はメニューを渡される。ソーキそばやタコライスなど沖縄らしい料理が並ぶが私が食べたいものは決まっていた。そう。フーチャンプルーと豚の角煮だ。この組み合わせをどこかで見覚えはないだろうか。そう。実央がみやこカフェでフーチャンプルと豚の角煮を運んでいた。この場面を見てから、もうフーチャンプルーと豚の角煮が食べたくて食べたくて仕方がなかった。すぐにフーチャンプル定食そして、豚の角煮を注文する。もっとも、豚の角煮はらふてぃと表記されていた。どうやら、沖縄では豚の角煮をらふてぃというらしい。中国語が由来となっているそうだ。
定食についてきた汁物を飲む。和風のスープに錦糸卵が入ったスープを口に含む。これがたまらなく美味しかった。なにせ、この日の最高気温は34℃である。そんな中、国際通りを端から端まで歩いてきたのだ。そこに塩気のきいた汁物。美味いに決まっている。さらに、もずくも絶品だ。お酢が効いていてさっぱりいただける。次にメインのフーチャンプルだ。フーチャンプルはお麩と野菜を炒めたものだ。まずはお麩をいただくことにした。お麩にはたまごが絡まっていて、ほどよく焦げ目がついている。口に入れた途端焦げ目の風味が口の中に広がる。特筆すべきはお麩の食感だ。一般的な丸い麩ではなく大きく弾力もある。お麩というより高野豆腐に近いだろうか。独特な食感で食べ応えもあった。そして、キャベツやにら、にんじんといった細切りにされた野菜のシャキシャキ感も合わさり食感の相乗効果を生み出している。



 らふてぃは箸で切れるほど柔らかでしょうゆの風味が効いた甘めの味付けだった。どうやら泡盛と一緒に炊いているらしい。それもあってより甘く感じるのかもしれない。付け合わせにはオクラとにんじんのねじり梅が添えられている。オクラの緑とニンジンの華やかな橙色が彩りを添える。こちらも味がしみ込んでいて絶品だ。とにかく最高だった。一口一口を噛み締めながら箸を進めた。

夜の国際通りにて
 夜の国際通りはきらびやかだ。ネオンが輝く。夜は昼と比べ涼しい。私を苦しめた太陽は消失していた。しかし、完全に日が暮れたわけではなく、薄暮であった。格段に活動しやすくなった国際通り聖地巡礼をすることにした。
 まず、映画で描かれている場所を探すことにした。映画を実央がよく見てみると、実央が国際通りを歩くシーンで赤く細長い立て看板があるビルが描かれている。ハイサイおきなわビルという文字が見えた。私はこの文字を頼りにそのビルを探してみることにした。Googleでビルを検索してみるとすぐに見つけた。しかし、このビルどこかで見覚えがあるような。写真を振り返ってみてびっくり。昼の間に撮っているではないか。昼間のあいたはここをまったく認知していなかった。たた、国際通りっぽいなと思って撮っただけだ。赤い色使いが国際通り、沖縄の南国のイメージを体現していると思った。まさか映画に映っていた場所だったとは。

 間違いなくここを実央が歩いていた。私は実央が通ったであろうルートを歩く。ハイサイおきなわビルから国際通りをまっすぐ牧志駅方面へ歩く。道中には多種多様なお土産屋。ステーキハウス(沖縄はステーキ文化が盛んらしい。本当によく見かける)。島唄ライブが楽しめる沖縄料理店。みな自分の色に光っている。昼間と比べ格段に人通りは多くなっている。歩く人は皆楽しそうだ。それと対照的に、映画の中では実央は国際通りを歩いていった。このきらびやかな国際通りだからこそ実央の悲しさが際立つ。悲しさを表現するにはうってつけだと肌で感じた。
 しばらく歩くとてんぶす那覇と呼ばれる建物が見えてくる。ガラス張りのビル一階にはローソンもあるためすぐにわかる。ここを曲がると先ほどの華やかさとは打って代わり、電灯もまばらで薄暗い通りに入る。一本入るだけで印象がまるで違う。右側にはホテルや飲み屋があるが、左側には希望ヶ丘公園という大きな公園があるため光は少ない。道沿いに設置された公園のトイレには地元の人がたむろしていた。この道を道なりに下ると右手に小道が見える。桜坂通りだ。この道に入ると見えたのは桜坂劇場であった。そう。駿が実央と電話していたあの桜坂劇場だ。



 白亜の鉄筋の建物でガラス張りのおしゃれな建物だ。2階もガラス張りになっているが、正方形ではなく上部が曲線グラフの線のようになだらかに盛り下がっている。それが、またよい味を出していた。桜坂劇場は映画館なのだが見た目からは映画館だとは思えなかった。駿が立っていたところに私も立ってみる。前にはシーサーの像が立っている。真正面から見たら、おそらく私の姿はシーサーに隠れてしまうだろう。映画には描かれていなかった。映画では省略されたのだろう。横の喫煙スペースからたばこの匂いがただよってくる。
 1階にある受付のカウンターはまるでカフェのようだ。2階に続く階段もあり、下のスペースを利用して本がずらりと並んでいた。その前には、お土産もあった。桜坂劇場オリジナルのポストカードを手に取る。私がここにいたという事実を物質化したかった。
 駿がここにいたということは、映画を見ていたのだろう。高速船を降りた後、空港へいきその後、桜坂劇場で映画を見たのだ。私も映画を見ようか。いまなら20:30からの映画がある。いや、さすがに沖縄まできて映画はよいだろう。
 ここに来たからにはやりたいことがあった。それは、桜坂劇場から桜坂ライブハウスまで駆け足で走ることだ。桜坂ライブハウスとは、実央が駿に電話をかけた時にいたライブハウスだ。電話で話した駿はいてもたってもいられず実央のいるライブハウスまで走る。雨に打たれ肩で息をしながら走る。ドラマチックなシーンである。駿と同じ体験がしたかった。まさに、駿と同じ場所に立つ私。人通りが少ないことを確認する。心の準備は万端。私は駆け出した。通りを出ると交差点に出る。車が来ないことを確認しながら信号のない横断歩道を渡る。飲み屋がならぶ道を入る。するとライブハウスが見えた。あれ、早くないか。時間にしてわずか47秒である。そう、このふたつはとても近くにあるのだ。ぜんぜん息も切れていないし疲れてもいなかった。駿よ、お前どれだけ体力がないのだ。噂には聞いていたが、まさかこれほど近いとは思わなかった。しかも、駆け足でこれだ。全力疾走すれば30秒でいけるのではないかと思う。
 ライブハウスは、黒い正方形の建物で、Centralという文字がネオンライトで型どられていた。しかし、残念ながら営業しておらずネオンライトはついていなかった。それでも間違いなくこの店であった。この店の横にトンネルのような通路があった。奥に階段があって薄暗い。近くにスナックがあるらしい。その看板が怪しく光っていた。ここが実央がいた場所だ。私は通路に入り、実央と同じように身体を壁につけて立つ。すると、実央の気持ちが自然と湧き上がってきた。



 せっかく帰ってきたのに、駿に冷たい態度をとられたあげく彼女でもつくればいいといわれるのである。失恋と同じだ。手に持っていたスマホを耳に当てた。電話がなったわけでもないのに。しかし、そうしたくなった。実央に寄り添いたかった。私は目をつむった。トンネルの細い路地だからだろうか。圧迫感を感じる。熱気が立ち込めている。薄暗い蛍光灯が陰湿さを強調していた。向かいの斜め前の居酒屋からは飲んでいる人々の笑い声と明るい曲調のJPOPが流れてきた。しかし、左右を壁に囲まれた通路によってその音が耳に届くのをさえぎった。鮮明に聞き取れずもやがかかったようだった。それがいっそう孤独を際立たせた。まるで、自分だけ隔離された気がした。壁と同化して自分という存在が消えてしまったような気分になった。こんな場所に実央はひとりでいたのだ。そこにいたとき、私は一瞬実央になっていた。実央の気持ちと同調したのだ。



 この一連の出来事はもっとも興味深く心に残っている。まず、桜坂劇場からライブハウスまで走った時、私は駿の気持ちがわからなかった。つまり、駿が息切れしたことに共感できなかった。身体的に共感できなかったといってもいい。しかし、実央がいた環境は物理的にも孤独を感じる場所であった。そこで過ごしていると実央の気持ちが立ち現れた。つまり、身体的に共感できたのだ。
 私は、このライブハウスの出来事から、実央の気持ちが痛いほど分かるようになってきた。沖縄本島での喧嘩の原因、それは高速船で駿が彼女でも作ればいいのにと言ったことにある。実央は人と目が合うことが苦手だ。しかし、できるようにがんばったと本人はいう。それに対してちゃんとしてるなと返す駿。このとき実央はうれしそうな表情を浮かべる。当たり前だ。がんばったのは、駿のためだからだ。駿といっしょにいるために苦手な接客を学んだわけだ。実央は非常に献身的な男だ。なのに彼女でも作ればいいのにと言われる。国際通りを歩く実央には絶望しかないのだ。どんなに努力しても報われないという事実を突きつけられる。私自身、恋人のいる相手を好きになった時の苦い思い出を思い出す。胸が苦しかった。実央も似たような気持ちなのだろう。もちろん、実際に旅している時はこんなことは思っていなかった。ただ、悲しい気持ちで歩いていたんだという認識だったが、実際に国際通りを歩き、ライブハウスに立ったことで、実央の具体的な悲しさを理解できるようになった。
 ライブハウスを離れた私は国際通りへと戻る。作中では二人は雨の中これからホテルを探しにいくはずだ。彼らはどんなことを思いながらホテルを探したのだろうか。そんなことを思いながら私は国際通りを抜けて今晩泊まるホテルへと向かった。

飛行機にて
 帰りの飛行機の中で私はノートに旅の出来事をまとめていた。すると客室乗務員に「読書灯をお付けいたしましょうか」と聞かれた。読書灯なんてのものがあるのか。お言葉に甘えて読書灯を付けてもらう。
 今回の海辺のエトランゼ聖地巡礼の旅は、非常に充実していた。一番心に残ったことはなんであっただろうか。座間味の海はこの世のものとも思えないほど美しかったし、念願だった島宿あかばなーに行けたことは本当にうれしかった。フーチャンプルは想像していた以上に美味であった。それでも、桜坂での経験が忘れられない。あの時、自然と実央の気持ちが湧きあがってきた。実央が私の中に降りてきたという表現がぴったりであろう。憑依といってもよいかもしれない。憑依というとなんだか怪しげな印象を抱くかもしれない。しかし、そんなことはない。ドラマや映画などでの俳優が名演技を思い出してほしい。登場人物になっているとしか思えないような演技だ。それに対し私たちはまるで憑依しているようだと表現する。そんなイメージだ。もちろん、この経験がそこまで高尚な経験だというつもりはない。実央の気持ちが降りてきたのは、ほんの一瞬であるしすぐに途切れてしまった。だが、確実に私は実央になっていた。
 ここまで書いてきて、聖地巡礼とはなにか定義することができる。それは実際に現地にいき五感で、身体で感じることでキャラクターを自分自身に受肉化することなのである。わかりやすくいえば、キャラクターになるということなのだ。現地にいき、そこでキャラクターの行動の軌跡をたどる。その過程で2次元では表現しきれないにおいや感触を自分の身体レベルで感じるのだ。2次元の存在を自分の身体を通じて受肉化する。そうしてキャラクターの感情を理解する。それこそが聖地巡礼なのだ。
 今回の聖地巡礼を行ったことで映画や漫画を見ていては感じ取れなかった細部のニュアンスまでも感じ取れるようになった。それはより作品を楽しめるということを意味する。今回の一番の収穫は実央に共感できたことだろう。いままで駿の方に感情移入して読んでいた。私がブログで描いたのも駿目線で論じたものが多い。今回の旅でそれまで見落としていた実央の心に気が付いたのだ。
 キャラクターに憑依する。そのためにはどうすればいいのだろう。それはキャラクターへの共感と高い集中力だ。むろん、並大抵のことではない。あの時、すくなからず人通りはあったため、恥ずかしさが憑依の邪魔をした。さらに、彼らが物語の前後に何をしていたのかを理解しておくことも重要だ。キャラクターの前後の感情の流れを理解していなければ、気持ちも入らない。また、ゆとりのある時間が必要だ。現地に赴き、ゆっくりと時間をとり、しばらく観察しつつその場に留まることが重要だろう。そうすれば、おのずとキャラクターの気持ちが湧いてくる。正直座間味ではあまりキャラクターの気持ちになることは少なかった。なぜなら、座間味の滞在時間は約4時間。あまりにも時間が少なすぎた。あせっていた。細部にまであまり気を配れなかった。
 憑依とは想像力といいかえることができる。想像力はすべての根源だ。想像力とは人間を人間たらしめるものなのだ。想像力があるからこそ、相手の気持ちを理解できる。相手の立場に立てる。だから、他人に共感できる。実央の経験に共感できたのは自分自身の過去の体験を通して実央の感情を理解したからだ。もし、自分が実央であったらどんな気持ちになるか彼の立場になって考えることなのだ。共感とはすなわち他者理解なのだ。この他者理解が一定の境地に達した時、自身の人格と他者の人格が融合する。これが憑依の仕組みだ。
 最後に一つ。憑依と想像力は重要な関係をもっていることはすでに述べたとおりだ。私たちは想像力は脳の働きであると、ついつい思ってしまう。しかし、そうではない。想像力とは身体全体の働きなのだ。例をあげよう。さきほどの客室乗務員は私がノートに書いているのを目で見た。客室乗務員は私の身体に同調して、飛行機の席に座りノートを書いている私に乗り移った。私の視点に立ち、そして彼女は今までの経験から考える。やがて日が暮れ暗くなる。そうなっては見えづらくなって書きづらいだろうなと推測した。だから、私に読書灯を勧めたのだ。私たちはそのようなことを無意識に行っているのである。このように想像とは身体全体を使うものなのだ。
 私にとってこの旅とはなんだったのか。実際に旅をして身体で感じることで未央たちのことを想像し共感できた。そう。この旅は私が他者への想像力を獲得する身体修業の旅であったのだ。
 ピンポンと音が聞こえシートベルト着用のランプが点灯する。そのとき、機内放送が入った。飛行機はすでに着陸態勢に入っていてもうすぐ着陸するらしい。私は窓の外を眺める。地元は雨が降っているらしく、すこし揺れている。窓の外は漆黒だ。飛行機が斜めになると急に光が漏れた。見慣れたはずの町の夜は無数の丸い光によって形作られていて故郷とは思えなかった。ああ、旅が終わる。もうすぐに住み慣れた町についてしまう。日常が目の前に迫っている。しかし、思い起こせば実央と駿は私の身体に現れる。私の身体の中に実央と駿はいまも息づいている。