四季めぐるの評論日記

自分の好きなことを書いていきます

沖縄県 全国旅行支援体験記 ~ワクチン接種3回未満の場合~

2022年10月15日〜16日、全国旅行支援を使って沖縄を旅行しました。

今回はそれを記録するものです。これから旅行する皆さんの参考になればと思います。

なお各県によって旅行支援の条件が違います。あくまで沖縄の場合ということをご了承ください。

目次

 

1.旅行予約

JTBの「ダイナミックパッケージ」を利用しました。ホテルと飛行機がセットされたプランですね。街にあるJTBに直接赴いて手続きしました。

今回、飛行機を使い宿泊を伴うので、旅行代金の40%、上限8000円が支援されました。

 

また全国旅行支援の説明してくれます。

チェックイン時に身分証明書とワクチン接種3回接種か検査陰性の書類提出。そして、クーポン券はホテルで支給されるとのことでした。


2.PCR検査

※ワクチン接種3回目を打っている人は、PCR検査をする必要はありません。

私は今年の9月に2回目のコロナワクチンを打ったばかりです。そのため3回目は打っていません。ここで沖縄県の全国旅行支援の対象条件を見てみましょう。

利用要件 1) 身分証の提示(居住地の確認)
2) ワクチン3回目接種または検査陰性 *
3) 本キャンペーンの趣旨を理解し協力できること
* 12歳未満や修学旅行など、2)を省略できるケースがあります。

【公式】おきなわ彩発見NEXT より引用。

身分証の提示、ワクチン3回目接種or陰性の結果通知が必要になります。

3回目のワクチン接種券の提示は無理なので、PCR検査か抗原検査をおこなう必要があったわけです。

出発日もしくはチェックイン日の3日前のPRC検査が必要です。私は15日に出発だったので、3日前の12日にPCR検査をしました。

※なお沖縄では抗原検査の場合は旅行前日、もしくは当日の検査が必要になりますのでご注意ください。

翌日メールが届きました。

このメールをチェックイン時に見せるだけで大丈夫です。

これで沖縄へ行く準備が整いました。間に合ってよかった。

コラム 陰性証明書がなくても大丈夫?

私の利用したPCR検査場は陰性証明書は発行しておらず、メールで結果を通知するだけ。陰性証明書がいるのかと不安になりましたが、メールでも問題ありませんでした。

 

3.ホテルチェックイン

出発日当日、飛行機に乗って沖縄に着きました。

ホテルにチェックインします。全国旅行支援の対象者は身分証明書(健康保険証や運転免許証)とワクチン接種かRCR検査の提示を求められます。

私はマイナンバーカードとスマホに届いたメールを見せました。内心これで行けるかドキドキしました。

フロント係の人は「大丈夫です。ありがとうございます。」といってマイナンバーカードを返してくれました。

そして、クーポン券を渡してくれました。

私は祝日に泊まったので1000円。平日だと3000円もらえます。

クーポン券の有効期限はチェックアウト日+翌日までだそうです。

私は16日にチェックアウトだったので、17日まで有効ということですね。

 

なおホテルで身分証明書と陰性検査証明が出せない場合、後日支援金を返金することになるので必ず忘れないようにしましょう。

終わりに

全国旅行支援の手続きは以上になります。あとは、旅行を満喫しましょう。

私は、国際通り近くにある琉球料理屋さんでクーポン券を使いました。琉球舞踊を見ながら食事がいただける店で、贅沢な時間でした。

支援金8000円を旅行資金として使うこともできました。全国旅行支援はなかなかお得だなと感じました。

かなり簡単にできるのでみなさんもぜひ全国旅行支援をつかって旅行してみてくださいね。

 

琉球舞踊 四つ竹

琉球舞踊になじみのない人でも『四つ竹』を知っている人はいるのではないだろうか。黄色の紅型と「琉球花笠」と呼ばれる赤い花をモチーフにした帽子を被った女性が踊る舞踊である。『四つ竹』は、祝儀舞踊で御座所で踊ることのできる喜びを表した舞踊である。

 

特徴的なのは踊りながら四つ竹を演奏することにある。四つ竹は竹でできた打楽器で、カスタネットのように打ち合わせて鳴らす楽器だ。

踊っている最中、2拍に1回のペースでカチカチと規則正しく打つ。その音を聴いていると段々と心地よい感覚になってくる。この心地良さはなんなのだろうか。それは子守歌のリズムと同じだからと考えている。親が子をあやす時赤ん坊の背中をやさしくたたく。そのリズムは2拍に1回のペースなのだ。おそらくこの拍はヒーリング効果があるのだろう。スローテンポで常に一定の拍子は安心感をもたらす。祝儀舞踊にはぴったりのリズムであるといえるだろう。このリズムが舞踊の魅力のひとつであることに違いない。

 

もう一つの特徴は四つ竹の演奏する手を魅力的に見せる振付だ。演者が四つ竹を叩くときには叩く手が観客に見せるように工夫されている。叩く時、必ず手を固定する。固定してから打ち鳴らすことで、演奏していることが強調される。

また、手を見せるために、上下左右、あらゆる空間にアクセスする。その手と空間の関係性を見ているだけでも楽しい。手の動きだけではなく時にひざを曲げることによって、体全体の高さを変更することによってもそのバリエーションを増やしている。いかに観客に飽きさせず演奏する手を観客に見せるかという思想がこの作品の醍醐味と言ってもいいだろう。

 

音と動きにおける美の追及がこの作品の魅力といってもいい。心地のよさを追求した2拍1回のリズムと演奏する手を見せることで動きの美、このふたつが混じりあって美しさの相乗効果を産んでいるのである。この美の追及が親しみやすさ、華やかな雰囲気を醸し出す。だからこそ、これまで親しまれているのではないだろうか。

原神 スメールの世界樹についての考察


 2022年8月24日、ついに原神ver3.0が実装されます。あと2日ですがもう待ちきれそうにありません。PVや今ででている情報からスメールのストーリーを妄想していこうと思います。結論から言うとスメールには世界樹と呼ばれる巨大な木があります。スメールの神はこの樹と意識が繋がっているといわれている重要な樹です。この世界樹はもはや消えていて、クラクサナリデビの幻影を見せる力で世界樹が存在しているように見せているのではないかということです。なお、ナヒーダが現草神であるという前提で話を進めさせていただきますのでご了承ください。

私が3.0の公式PVをみて疑問に思った部分は以下です。PVでは前草神であるマハールッカデヴァタが姿を消した時、賢者が新しい草神を見つけてきて迎え入れたといっています。しかし、ニィロウは教令院の大賢者に花神誕日に踊る「花神の舞」を止められてしまったと言っています。また、「彼らにとってクラクサナリデビ様の誕生はマハールッカデヴァタ様が本当に逝去された証明でもある。」と述べています。この彼らが誰かを確定できませんが、仮に賢者たちであれば矛盾することになります。賢者たちがクラクサナリデビを見つけて迎え入れたにも関わらず、クラクサナリデビを邪険にしているのですね。

 なぜ、クラクサナリデビは歓迎されないのでしょう。また、いまの草神になってから500年も経っているにも関わらず、なぜスメールでは前草神の記憶の印象が強いのでしょうか。ふつう500年も経っていれば、浸透していそうなものです。

 以上のように教令院はなぜクラクサナリデビがスメールの民に浸透するのを嫌がるっています。浸透することでなにかデメリットがあるのでしょうか。私が思いついたのは、ウェンティの言葉です。信仰が弱まれば神の力は弱くなる。つまり、信仰をわざと調整して神の力を抑制しているのではないかと思うのです。つまり、草神を操れなくなるから賢者たちはニィロウの邪魔をするのではないかと思うのです。
 
 では、なぜ賢者たちはナヒーダを制御下に置きたがるのでしょう。私は世界樹がキーポイントになっているのではないかと睨んでいます。スメールの神が「知恵の神」と呼ばれるのは、この世界樹と神の意識がつながっているからと言われています。おそらく、世界樹には知識などが詰まっているのでしょう。このように世界樹は非常に重要な存在です。
しかし、この世界樹が燃えているシーンがあります。1つは執行官PVで最後に博士が世界樹を燃やしているようなシーンがあります。2つ目は、スメールPVで空が燃えている世界樹を見ているシーンがあります。
 500年前、博士が世界樹を燃やしたのではないでしょうか。博士はタルタリヤのボイスなど長年生きていると示唆されています。博士の行いを悪夢としてコレイに見せたという解釈も可能です。スメールPVで空が見ていた世界樹が火に包まれているシーンは、過去に起こった出来事を地脈が記憶していて、それを見たのではないでしょうか。
 さて、知恵の神そのものともいえる世界樹の火災によって消失してしまったとすれば、すなわち神の死を意味します。過去の出来事だと仮定すると前草神が500年前、博士による放火で死んでしまったということになります。
 しかし、PVを見ている限り、ティナリが世界樹のことを説明していることから物語時点では現存していることになります。500年の歳月をかけてまた生えてきたということもできますが、私は現在ある世界樹は幻覚なのではないかと思っています。
 サマータイムオデッセイで草神らしき声が聞こえてきます。金リンゴ群島で草神は自分に似た力があったと語っていますし、今回のイベントの元凶である幻覚を見せる装置もある神の力を模して作ったと述べられているように、草神には幻をみせる力があると示唆されています。
 世界樹の喪失は、スメールのアイデンティティの喪失であり一大事です。教令院の賢者たちは考えたでしょう。これがスメール国民に知られれば混乱に陥ると。賢者たちの知恵はその真実を隠すことで解決しようとした。だから、幻覚を見せる能力をもったナヒーダを次の草神に選んだのではないでしょうか。ナヒーダもそうすることが最善であると知恵をふり絞って考えて、その役目を受け入れたのではないかと思います。
 そうなると、世界樹に繋がっているアーカーシャ端末はなにかという話になってきます。アーカーシャ端末が世界樹に繋がっているのは嘘で、実際は世界樹が消えていることを隠すための情報統制のための端末なのではないでしょうか。
 現草神の信仰が強くなり過ぎないように調整し、弱体化させ、制御させる力があるのではないでしょうか。そう考えるとスメール人が夢を見ないことも関係あるのではないでしょうか。夢の役割とはなんでしょう。夢とは記憶の処理・整理のためといわれています。つまり、アーカーシャ端末で邪魔することで夢を見せないようにしてクラクサナリデビのことをあまり知らないようにしているのではないでしょうか。
 駆け足にはなりましたが、PVの気になったところからナヒーダについて考察というか妄想してみました。スメールの物語の最後を予想すると、主人公たちによって解放されたナヒーダは、真の神の力を解放し、あらたな世界樹を創造するのではないでしょうか。そうして、スメールは今一度知恵の国として歩み始めるというラストになるのではないかと思っています。つまり、スメールの物語は、未熟であったナヒーダが真の神になるというお話ではないかと思います。
 この考察の答え合わせまであと2日と迫ってきました。スメール実装を心待ちにしたいです。

 

四季めぐる

『海辺のエトランゼ』聖地巡礼紀行 ~沖縄のエトランゼ~

海にて
 私は沖縄の海辺に立っていた。青い空と高い雲。海の向こうには島があり深青に染まっている。真ん中にはエメラルドグリーンの海。まるで筆で絵具を弾いたように所々に群青がちりばめられている。そして、手前にくれば不純物を含まない無色透明な水。それらがグラデーションとなり、白い砂浜というキャンバスに描かれていた。沖縄・那覇泊港から高速船で50分。たどり着いた座間味の海はそれだった。この世のものとは思えないほどの透明度だった。この海を駿と実央は見ていたのだ。

 20分ほど前、私は座間味島へと降り立った。座間味島、映画 『海辺のエトランゼ』の舞台となった沖縄の離島だ。私は1泊2日で沖縄を訪れた。目的はもちろん映画にでてきた場所を巡るため。いわゆる聖地巡礼だ。那覇泊港から高速船クイーンざまみで外洋へでて、黒い海を進む。それは光を通さない死を感じさせる海だった。私は恐怖した。思い出せば、私は船で外洋に出たのは初めてであった。果たして、初めてこの海を渡った人はどんな気持ちだったのだろうか。この死を漂う海の先になにかあると期待を抱いて渡ったのだろうか。そんなことを考えている内に、船はあっという間に、座間味へと到着のアナウンスが流れ出す。
 ほんの少し前まで地平線まで黒い波が包んでいたのに、島が見えると青く座間味ではない。島に気を取られている間に私は下を見た。さっきまで黒かった海がマリンブルーの色になっている。私は思わず身を乗り出した。いや、実際には窓があって身は乗り出せなかったのだが、そのきれいさに引き込まれた。
 海に見とれていると船は座間味港へと泊まった。この船乗り場は桜子が降りてきていた。目の前を見るとびっくり。駿が自転車で通っていた建物が見えるではないか。後でよく見て見たら違っていたのだが、私には座間味にきたということに高揚し、そんなことどうでもよかった。オレンジの壁があるという事実だけで興奮した。 
さて、座間味にきたは良いもののどこに行くか決めていなかった。いや、行きたいところはピックアップしていたのだが、どのような順番で行くかを決めていなかった。私は、駿が自転車で通った(と私が思い込んでいた)場所から反対方向に向かうことにした。つまり、駿と反対の道に向かうことで、京屋がどこにあるのか特定しようとしたのだ。
 私は歩いてその道を辿ることにした。日差しは照りつけるが暑いと言っている場合ではなかった。左には美しい海が、右手には山があった。道なりに進んでいくと坂が見えてきた。
 すると、前から黒いタンクトップをきた島民らしきおじさんが自転車に乗って通り過ぎていった。しまった。私もレンタサイクルを使えばよかった。そうすれば、駿と同じように回れたのに。それに離島でのサイクリングとはなかなか乙なものである。
そんなことを思っていると坂が見えてきた。その坂を登っているとふと思った。ここはもしかしてと振り返ってみると、くだり坂は、左手にカーブしていて、その先には相変わらず美しい海が見えていた。そして、法定速度30キロの道路標識と電柱。
 そう、ここはあの坂道だ。駿が自転車で野菜を取りに行って時に通った場所だ。坂を見ただけでここまで満足感があるとは、坂を写真に収める。それとは対照的に車がいくつか通り過ぎていった。

 坂を超えると豊かな自然に囲まれた集落が見えてきた。集落の左手にあるのが、その海だ。そして、その海に私はいま入っている。ここは阿真ビーチというらしい。私が着いた頃にはもう何人かの先客がいた。水着をきた男女がシュノーケリングを、またある人は海岸沿いにシートを敷いて休んでいた。みんな思い思いに遊んでいる。ただ、一人で来ている観光客は私以外いない。私を知っている者はここにはだれもいない。私は沖縄のエトランゼであった。
 この阿真ビーチが場所から言っておそらく京屋のある海岸だろう。だた、ビーチと言うだけあって海岸には木が植えられており、家に面しているわけではない。京屋のような古民家の民泊はなく、コテージがあるだけであった。
 いつみてもこの世の物とは思えない海の色だ。このような色をケマラブルーというらしい。なぜこのような色になるのか。どうやら透明な水と白い砂浜がポイントらしい。透明な水だからこそ太陽光の内、青色だけ海底に届き、白い砂浜に反射して美しく見せるのだ。
 私は水着を持ってきていなかった。今回私は聖地巡礼で訪れていたため、海は入らなくてもよいだろうという判断だ。しかし、これほどまでに海が綺麗だとさすがに入りたくなる。私は裸足になってズボンを捲りあげた。そして、海へと入った。砂浜には貝殻がたくさん落ちていて、足の裏に容赦なく刺さる。しかし、海に入ってしまえば冷たい水と柔らかな砂が私の足を包み込んだ。足は砂の深くまで入りこまない。足の指が少し隠れるぐらいだ。海に入れば入る前よりも海と近くなった気がした。まるで海と一体化しているような感じがする。海は高速船で見た海とはうってかわって死の恐怖はまったくない。やさしく穏やかな海。さざ波が私の足をやさしくなでる。私のすべてを受け入れてくれるような気がした。気がつけば私は濡れることをあまり気にしなくなってギリギリの所へ来ていた。しかし、波は容赦なく私のズボンを濡らした。結果、思ったよりも濡れてしまった。私は思う。夜の海はどんな感じなんだろう。実央が見ていた海は光の届かない暗い海だ。夜の海も見てみたい。夜の海を見る実央は限りなく死に近い。その時の感情は続編の「春風のエトランゼ」で語られる。ここでは触れないが、実央が見ていた黒い海が死を象徴しているならば、昼の海は生命力あふれる海だ。
 さきほどこの海のきれいさは太陽光が届いているからだといった。透明な水に満たされ、海水に太陽の光が照らされて海底まで届く。光が届いていて海底が見えるから美しいのだ。見えるからこそ生物たちの生命力を感じる。ならば、光の届かない夜はどうだろうか。高速船から見た外洋は海底が深すぎるから光が届かない。だから黒い。その底知れなさに恐怖したのだ。光を失った夜の海に残っているのは、そんな恐怖なのだろうか。今回の旅では夜の海を見ることはできなかった。だが、おそらくそうなのだろう。海は生と死を象徴する場所だ。両義性を内包している。この白い砂浜は貝殻が波に砕かれ、それが蓄積してできたものだ。つまり、貝の死がこの美しい砂浜を形作り、美しい海と豊かな生態系を形成している。まさに生と死だ。そんな場所でふたりは出会ったのだ。だから、こうはいえないだろうか。両親をなくし絶望して海を見ていた実央はいちど死んだのだ。しかし、海を見ていたからこそ駿と出会い生まれ変わったのだと。

座間味にて
 私はバスに乗って座間味港へと戻った。次に島宿あかばなーへと行く。島宿あかばなーとは、京屋のモデルとなった宿で、沖縄の古民家を改装した民宿だ。カフェかふーし堂も併設されていて、これはぜひ行かねばと思っていた。昼食にちょうどいい。
バスは座間味港フェリー乗り場前に停める。そこからまっすぐ進むと横断歩道がある。この横断歩道を渡るとすぐに一本道がある。座間味のメインストリートらしい。といっても道幅はあまり広くなく、車一台が通れるほどである。この道をまっすぐ進む。民家や民宿が立ち並び、石垣に囲まれた実に沖縄らしい光景である。
やがて黄色い建物と赤瓦の屋根が見えてきた。この赤瓦の建物の奥に民宿あかばなーがある。ああ、本当に来てしまった。憧れていた宿が今、私の目の前にある。鼓動が早くなった。興奮と緊張の中、私は入っていった。

 民宿あかばなーは沖縄の母屋を利用した民宿だ。その横に、かふーし堂はある。入口には看板があり、みやこカフェのようであった。奥に進むと、何やら鉄の棒が母屋を囲むように立っていた。屋根にはブルーシートがかかっていてよく見えない。どうやら、工事中らしい。そのせいで外見はあまりよく見えない。残念に思いながら、道を進む。石垣を抜けると庭が見える。ここに母屋が立っていた。すると、母屋の縁側に座ってアイスを食べている男性がいた。ひるむ私。宿泊客だろうか。なんと言葉をかけようか迷っていると
「どうぞ、中に入って」
と男性に促され扉を開けた。クーラーの冷気が身体に当たる。うわ、涼しい。柱と梁がむき出しの店内。白い壁と張り巡らされたポスターが私を出迎える。奥からスレンダーな女性が出てきた。黒いタンクトップを着ていてなんとも夏らしい服装だ。女性と目が合うと固まった。なんとも言えない雰囲気。ひるむ私。なんと言葉をかけようか迷っていると、
「いらっしゃい」と店員。
安心した私は2人が手前の席に座る。その上にテレビがありテレビの音声が流れている。平日の11:00によく流れている通販番組だったと思う。店内は非常に小さく2人席がわずか4つしかない。まだ昼前というだけあって客はわたし一人しかいなかった。
ここに来たら頼むのはもちろんタコライスだ。映画でも観光客がタコライスを注文していたからだ。映画ではカレーも注文しているのでカレーも食べたかった。しかし、注文しすぎるのも恥ずかしい。タコライスだけにした。ちなみに映画ではおばちゃんカレーだが、ここではトマトチーズカレーであった。
店員さんに注文した。すると、「ドリンクはどうされますか」と聞かれたので、せっかくならばと沖縄らしいグァバジュースを頼んだ。そして、カフェの入って左手にあるキッチンでジュースを作りはじめた。作中ではおばちゃんが料理を作っていたキッチンだ。
先ほどの気まずさを取り返すように、店員さんは気さくに話しかけてくれた。
「暑いですね」と店員さん。
「ほんとにそうですね」
「どちらから来られたんですか」
「○○から」
「○○、また遠いところから。乗り継いで来たんですか。直行便とかあるんですか」
「直行便があるんですよ」
「へー。あるんですね。おひとりで来られたんですか」
「そうです」
「最近、男性でも女性でも一人旅多いですよ」
「あっ、そうなんですね」
「いつ座間味に来られたんですか」
「今日です」
「あら、そうですか。じゃあ今日はどこか泊まられるんですか」
「いえ、今日帰るんです」
「あらー、帰っちゃうんですか」
「そうなんです。昨日那覇を観光して。それで今日の朝こっちに来て。今日帰っちゃうんです。休みが二日間しかとれなくて」
「えー、弾丸旅行じゃないですか。じゃあ今日の最終便で那覇へ?」
「いや、14:20の便で帰るんです。飛行機の時間的にそれで帰らないと間に合わないので」
「14時!?じゃあこれからビーチいったりって感じですか」
肯定する私。
「14時か。今11時でこれから昼食べて、海いって…うん大丈夫ですね。」
店員さんはグァバジュースをもって来た。
「はい、グァバジュースでーす」
「ありがとうございます」
でてきたグァバジュースを写真を撮ることも忘れて飲む。暑さでのどがカラカラだった。しかし、慌てて写真を撮る。タコライスと一緒に撮りたいからすこしは残しておかないと。そんなことを考えていると店員さんは奥にはけた。どうやら、このカフェでは飲み物など簡単なものは表でつくり、料理は裏のキッチンで作るらしい。タコライスを作りに行ったのだろう。私は、カフェをまじまじと観察した。木造建築の枠組みが途中で壁に埋まっている。おそらく、部屋を改築したのだろう。奥を見れば、なんとエトランゼのポスターが飾ってあった。そうこうしているうちに、お姉さんがタコライスを持ってきた。

「はい、タコライスです」
「ありがとうございます。」
白い器に載せられたシンプルなタコライス。レタスと真ん中にミンチとサルサのかかっている。サルサの酸味がさっぱりしていて暑さで弱ったのどを通る。店員さんがいう。
「実は入ってきた時、オーナーの友達にすごい似てて」
「あはは」
「あれ、どしたんって言おうとしたんですけど。いや、お客さんか?あっやっぱりそうかってなって」
「あ、そうだったんですね」
なるほど、さきほどの変な間はそれだったのか。
私はタコライスを黙々と食す。このときのために朝食は控えめにしたのだ。
ごちそうさまでした。美味かった。みやこカフェにきたようだった。さて、お会計をしようとするが店員は見当たらない。奥にいるのかと思い、奥を覗いてみた。奥は調理スペースと物置らしい。缶詰や調味料がたくさん置かれていた。しかし、誰もいなかった。電子レンジに反射した私が写っていた。
さすがに探しに外に出ていったら無銭飲食だよな。店員さんと合流できればいいが、もし合流できなかったら完全にアウトだ。いくら言い訳しても店側からみたら無銭飲食だ。どうしようかと焦っていると店員が戻ってきた。良かった。
「あら、もしかして私を探してました。」
はいと私。
「ごめんなさいね。洗濯物干してました。」
お会計を済ませて外へ出ようとした。しかし、私の足は止まった。ここを出てしまったらもう来れない。せっかく来たのだ。ここで終わらせるにはもったいない。もっとここにいたい。
「実はこういう沖縄の古民家に興味があってここに来たんです。向こう側も見て言っていいですか。」
思わずそんな言葉がでてきた。
「あっそうなんですか。」
するとお姉さんは店の中を説明してくれた。

「ここも古民家を改装したものなんですよ。ほら、古民家の面影が見えるでしょ。ここにキッチンあるでしょ。」
店員さんはカフェ部分にあるキッチンを指さした。
「実はここはもともと縁側だったんです。それをむりやり増築してスペースを確保してるんです」
「へー、そうなんですね。」
なんとそうだったのか。ここでしか聞けないマニアックな話にテンションが上がる私。
店員さんはいう。
「民宿もやってるんですけどね。」
「ほんとはここに泊まってみたかったんです。でも、いろいろあって泊まれなくて」
「あらー残念。実はいま屋根の修繕中で民宿お休みなんですよ。それで職人さんに直してもらってるんです」
なんと休業中だったのか。だから工事してたのか。
「また、来年とかにでも来てくれれば」
「そうですね。またリベンジにきます。」
「うん、もし疲れたらまた休憩しに来てくれていいから」
「ありがとうございます。」
民宿をゆっくりと見ることにした。なに、予想外の展開になった。民宿あかばなー兼かふーし堂の庭。おもっていたよりも小さい。いまは工事中のためテラス席は映画のようにはならんでおらず、端に置かれていた。
母屋の向かって左側3分の1がカフェになっており、残りが部屋になっている。部屋はふたつあり、駿と実央の部屋のようになっている。おそらくここが民宿部分なのだろう。先ほどアイスクリームを食べていた男性は右の部屋、映画でいうと実央の部屋にいた。実央の部屋である。男性もまた気さくに話しかけてくれた。
「よかったらそこのイスでゆっくりしていってください。」
 なんとこれは予想外の展開。断るわけにも行かず、お言葉に甘えることにした。
男性は部屋に置いてある畳んだふとんにもたれ掛かって、ゆったり過ごしていた。部屋はまさに実央の部屋である。畳の床に奥には収納スペースらしきものが見えた。ちなみに駿の部屋は雨戸によって隠されており中を伺うことはできなかった。
母屋の奥に鳥居があり建物がある。その前がスペースとなっておりイスもそこに置いてあった。そう。鳥居だ。前回京屋の間取りを特定した際にあった謎の鳥居だ。
 私はイスに腰掛ける。イスの背もたれが倒れる仕様らしい。しかし、まったく倒れず苦戦する私。見かねた男性がこちらに来てくれた。こんにちはと挨拶する男性。椅子に座ったままあいさつし返す私。かなりシュールな光景である。男性の手伝いもあってなんとか背もたれを倒すことに成功した。男性は言う。
「まるで宇宙に浮かんでいるような座り心地ですよ」
おそらくこの男性がオーナーなのだろう。
オーナーにお礼をいい、しばらく椅子で休憩しながら、島宿あかばなーを観察した。鳥居の奥には小さな建物がある。もし神社ならば本堂ということになるだろうが、いかんせんそんな感じはしない。赤瓦の屋根にアルミの横開きのドアが取り付けられている。どちらかと言うと物置だろうか。後からこの鳥居はなにかときけばよかったと後悔した。屋根にはヘルメットをかぶった職人がいて屋根の修復作業をしていた。

  屋根の上には扇風機がおかれ熱中症対策は十分だ。瓦の一部が取り外され下の木材が見えていた。屋根を支える柱は、年季が入った趣のある木がその屋根を支えていた。そろそろ、ここを離れる時間だ。私は島宿あかばなーを後にした。やさしくおおらかで、しかし自由な時間だった。
 次に私は、一〇五マートにきた。といってもあかばなーの手前にあるのだが、ここも映画に出てきていた。絵里が実央に話しかけるシーンだ。作中では一〇六マートだった。実央が立っていた。彼はどんな気持ちでたっていたのだろうか。一〇五マートでアイスを買う。あまりにも暑すぎるからだ。思い返せば、実央はガリガリ君らしきアイスを食べていたっけ。私もガリガリ君を買えばよかったと後悔。店の前のベンチに座ってチョコアイスを食べる。目の前には民宿あかばなーがある。さきほどの体験を心に留めておくかのようにずっと眺めていた。黙々と食べ続け、アイスは溶けないうちに私の胃袋の中に入っていった。

 アイスを食べ終わった私はおそらく座間味の最後の観光になるであろう場所へと向かっていた。それは大浜。これでウハマと読むらしい。座間味村から離れた山を隔てた場所に阿佐地区という町があり、そのさらに奥にある海岸だ。もう阿真ビーチに行ったのに、なぜもういちど海岸へ行くのか。実はこの大浜には海岸にベンチがあるのだ。直接関係あるわけではないが、映画『海辺のエトランゼ』の公式Twitterにロケハン画像として写真が上がっていたいたのだ。
これはいくしかない。しかし、問題があった。私が今いる座間味港から大浜まではかなりの距離がある。車では16分ほどで行けるそうだが、タクシーはコロナで休業中。レンタカーもあるが私はペーパードライバーである。正直運転が怖い。こんなところで事故なんて起こしたら間違いなく飛行機に乗り遅れるだろう。では市営バスはどうだろう。これも時間の関係上、高速船の時間に間に合わない。それに大浜の途中、阿佐地区までしかいかないので、いずれにせよかなりの時間を歩くことになる。ここから徒歩でいけば片道一時間はかかる。なんだかんだでもうすぐ12:00を回る。行って帰ってぎりぎりだ。それにこの炎天下の中2時間も歩けば間違いなく熱中症になるだろう。そうなれば高速船に乗り過ごし飛行機も乗り過ごす。ではレンタサイクルはどうだろうか。全力でこげば間に合うだろう。自転車をこいている時は、空気抵抗で風が当たるため涼しい。レンタサイクルしかなかった。私はレンタルみやむらというレンタルサイクリングの店に向かう。といってもいわば無人の店で民家の庭先に自転車が置いてあり、借りる時間分のお金をポストに入れるというシステムだ。どうやら先にお金を入れるらしい。2時間200円、4時間で500円だった。2時間あれば問題ないだろうが、念のため4時間にした。黒い普通の自転車をレンタルし、急いで大浜へと向かう。電動自転車が欲しかったのだがなかった。Googleマップを開き道を確認する。どうやら座間味港の集落の中を抜けて山道を通っていくらしい。私は集落の裏道を駆け抜けた。石壁に囲まれた狭い一本道を通る。石垣から飛び出た木が木漏れ日となって私を照らした。風も当たって気持ちがいい。これはいい。私は集落の端まで来た。ここを左に曲がり道なりを進むらしい。
 曲がった先にあったのは、とてつもない急傾斜の上り坂であった。山に反ってカーブしていて、先が見えなかった。地獄の坂だ。私は怖気ずく。しかし、やるしかなかった。私はまるで飛行機が離陸するときのように速度をあげ坂へと発進した。しかし、坂を登り始めた途端。急に重力が私に襲いかかった。
「ぐっ」
私も負けじとペダルをこぐため足に力を込める。あがれ、あがれ。
しかし、ペダルはビクともしなかった。
私は諦めて自転車を押すことにした。しかし、沖縄の太陽が私に襲いかかる。尋常ではない汗が吹き出す。身体はあっという間に汗水に包まれた。シャツと肌の間に熱気がたまり茹で上がったかのような感覚に包まれた。肩にかけてある手ぬぐいで必死に汗を拭う。だがそんな努力も虚しく拭ったところがすぐ汗に浸食されてしまう。
大浜に行きたい。ベンチを見たい。それだけで私は坂を登り続けた。しかし、悲しいかな、ふらふらとし始めた。私の苦労とは裏腹に市営バスが通り過ぎていった。あのバスは大浜へ行くバスではない。手前の古座間味ビーチに行くバスであった。やっとのことで坂を登りきった私。そこは展望台になっていて、海が見えた。相変わらずキレイな海だ。下り坂を降りると古座間味ビーチだ。
 いったん休憩し、さあ行こうと思い、右手を見ているとそこには上り坂があった。絶望とはこのことを言うのだろう。私は悟った。これは無理だ。死んでしまう。私は泣く泣く諦めなければならなかった。後悔が積み重なっていく。今度また来よう、そう思った。私は来た道を帰ることにした。すると、先ほどのバスが座間味港へ戻るため、私の目の前を通り過ぎていった。

 私は「青のゆくる館」で涼を取っていた。青のゆくる館とは、座間味港から集落に向かってすぐにあるビジターセンターだ。私が駿が自転車で通り過ぎたところと勘違いしたところである。館内はクーラーが効いていて清潔。奥にはカフェもあった。先ほどの坂事件によりいまだにふらふらする。たぶん熱中症になりかけだったと思う。引き返して本当によかった。倒れて診療所に担ぎ込まれていたら目も当てられない。
 ここはかふーし堂の店員さんに教えてもらった場所だ。レンタサイクルを返し、急いでここに避難したのだ。店員さんのお言葉に甘え、かふーし堂にいってもよかったのかもしれないが、こちらの方が近かったのだ。一刻も早く冷房の効いた室内に避難せねばならなかった。しかし、これからどうしよう。時刻は13:00前。案外と時間が経ってないと思うかもしれない。実は距離的にはそこまで進んでいなかった。わずか短時間で熱中症を引き起こさせる直前までいくとは、沖縄の太陽は恐ろしい。
船までまだ一時間ちょっとある。まずは十分に休息を取るべきなのはもちろんとして、これからどうしよう。熱中症になりかけた手前、外へ出てなにかするのは現実的ではない。クーラーの効いた室内での活動に専念すべきだろう。残りの時間はお土産を買うことに専念しよう。近くのお土産屋は座間味港にあるらしい。体調も回復してきたことだしそこへ行くことにした。座間味港へは歩いて1分もかからなかった。



 すると港にフェリーざまみ3号が止まっているのが見えた。そう、桜子が離島から帰るとき、このフェリーに乗って帰ったのだ。エトランゼ関連のものが見えて私のテンションも上がった。お土産を買った私はフェリーを観察することにした。フェリーは思ったよりも大きくない。客室はおそらく3階に分かれており全体は白と思いきや、すこし青がかっているだろうか。船体のしたにはオレンジ色でZの文字が船体の端から端まで描かれている。おそらく座間味のZだろう。その船が座間味の港に停泊している。桜子が「あなたじゃないわよー」と大声で叫んだ船だ。そして、私が立っている場所が駿と実央が見送った場所。港の出入口も見てみることにした。地元の漁師さんだろうか。ちょうど小さな小型船が港を出ていくのが見えた。それにフェリーを見送る駿と実央を重ねた。



 するとだんだんと駿に腹が立ってきた。桜子もかわいそうだし、恋人が目の前でキスしようとしたらそりゃ怒るだろうと思った。しかし、駿本人は「帰って寝よ」である。なんて他人事なのだろう。ビンタのひとつもしたくなる。しかし、駿は平手打ちされた理由がまったくわからないのだ。駿はなかなかのクズ男である。いや、誤解を招くようだが私は駿は好きである。自分のことしか考えてないからこそ駿らしい。駿の自己中心さこそが実は重要だったことが後に明かされるのだが、それはまた別のお話だ。

 

時刻は14:00を回った。乗り場の待合室からアナウンスが流れる。
「まもなくクイーン座間味が入港します。お乗りになるお客様は乗り場にお集まりください。」そのアナウンスは旅の終わりを告げるものであった。こうして、座間味の旅は終わった。高速船がゆっくりと港へと入ってくる。
 この船に乗って駿と実央は本島へと向かう。私は駿と同じ窓際の席に座る。後ろには自動販売機があった。そういえば、実央は駿に、ペプシコーラを買っていたっけ。船に乗り込んだ私は席を立ち、自動販売機へ向かう。残念ながらペプシコーラはなかった。代わりにコカ・コーラを買う。実央はあらためて気遣いのできるいい子であると思った。二人はかなりバランスのとれたパートナーなのだ。そんなことを思いながら、エンジンの振動が伝わる。船が離岸する。そして、方角を変えゆっくりと港を進む。いま船はエメラルドグリーンの海に船跡を刻んでいるのだろう。

那覇にて
私は那覇国際空港へと降り立った。飛行機に乗って数時間。あっという間だったような気がする。宿泊を伴う旅なんて久しぶりだ。コロナ禍になってから一度もいってないから3年ぶりか、それ以上だ。空港の荷物受け取りの列を通り過ぎた。今回は1泊2日だし肩掛けカバンで充分だろうと思い、荷物は預けていなかった。外に出ると白を基調とした空間が広がる。空港というだけあって人もたくさんいる。出入口には水槽があり、ナンヨウハギやほかの魚たちが旅行客を出迎えている。ここにも聖地巡礼スポットがある。駿は空港便を出しにこの那覇空港へと訪れているのだ。つまり、航空便の受付があると睨んでいるのだ。とりあえず、ここを探索することにした。空港の出入口側にずらりと観光案内所や宅配便受け取り場所がずらりと並んでいる。間違いなくこのどこかに駿が出した航空便があるのだ。その時、人だかりができているのが見えた。四角いブースの上部に手荷物一時預かりと書かれてある。そして、クロネコヤマトのロゴが見えるではないか。ここだ。ここが駿が航空便を出していた場所だ。人が多いからまじまじとは見つめられないが、それでも思わず写真に納めたくなる。人通りも多いし、帰りも来るからその時見ることにしよう。

私は出入口にたった。さて、どうしよう。エトランゼの聖地巡礼にきたとはいえ、本島での聖地巡礼国際通りが主である。比較的余裕がある。どこへ行こうか。いやとりあえず国際通りに行ってみよう。私はバス乗り場へと向かった。しかし、バス乗り場が多すぎてどれがどれだかわからない。そう。国際通りの行き方を調べていなかったのだ。うーん、全くわからない。頼りの綱であるGoogleマップを見てもどの乗り場にバスが止まるのかわからない。これかと乗りかけると、どうやら特急のバスで、どうやら国際通りにはいかないらしい。慌ててきびすを返す私。沖縄に来てさっそく不安が募った。
 しかたないので、観光案内所の人に聞いてみることにした。観光案内所の人は国際どうりのマップを広げ説明してくれた。どうやら、空港から国際通りへ行くにはバスかモノレールがいいらしい。国際通りの中までいくならバスがおすすめです。といわれ、バス停まで教えてくださった。お礼をいい、再びバス乗り場へ向かう。ふと、思い出した。そういえば駿はモノレールに乗ってなかったか。航空便を出した後、モノレールに乗って、駿は国際通りに向かっている。これはモノレールに乗るべきだ。丁寧に教えてくれた案内所の人には悪いが、モノレールで行くことにした。まずモノレール乗り場を探さなくては、と館内を歩いているとモノレール乗り場の文字が。どうやら2階にあるようだ。エスカレータ―に乗って2階へ。出口をでて連絡橋を道なりに歩くとすぐにモノレールの駅に着いた。幸いなことにモノレールは停まっており、すぐに出発した。モノレールの車内は普通の電車とほぼ変わらない。観光客用の荷物置き場があるのが、観光地らしい。しかし、私は大興奮だった。スマホを立ち上げエトランゼを見る。駿が空港便をだしたあと、このモノレールで国際通り方面へ向かっている。
私は駿が車両内にいた同じ場所に立ってみる。ドアのすぐ近くだ。駿はここから同じ景色を眺めていたのか。私は駿になったような気がした。後ろから見えるモノレールの経路がどんどんと後ろへ伸びていった。空港を離陸する飛行機もまた離れていき、やがてビルの影に隠れた。

 空港からモノレールで国際通りへ向かう場合、県庁前駅か牧志駅どちらかで降りる。すると、全長約1.6kmにわたる国際通りの端と端の入口へつく。
 私は県庁前駅で降りた。駅を降りて少し歩けば国際通りだ。沖縄の日差しは強い。見上げてみると空は高く青い。見上げてみると真上に太陽がある。日差しは刺すように鋭い。時刻は11:00。少し腹が減った。まずは、腹ごしらえといこうではないか。それにどこか涼しい場所に入りたかった。
 しかし、どこにいこうか。国際通りでよく見かけるステーキハウスに行こうか。それとも沖縄料理店へ向かうか。記念すべき沖縄での初めての食事。沖縄らしいものを食べようではないか。沖縄料理店にしよう。こういう店は事前に調べていくよりたまたま目に入った店や現地に着いてから調べるなど偶然性を重視した方が楽しい。完璧に探そうとすると視野が狭まってしまう。それにハプニングも旅の醍醐味だ。
「とぅばらーま」という沖縄料理店に行くことにする。どうやら国際通り牧志駅付近にあるらしい。結果的に私は国際通りの端から端まで歩くことになった。ようやくついたときには汗だくで、くたくただった。沖縄料理店だけあって内装も沖縄らしい。なんと室内に古民家風の建物がありそこで食べることもできる。しかし、私は店員さんに促されるまま席に座ってしまった。どうせなら向こうで食べればよかった。私はメニューを渡される。ソーキそばやタコライスなど沖縄らしい料理が並ぶが私が食べたいものは決まっていた。そう。フーチャンプルーと豚の角煮だ。この組み合わせをどこかで見覚えはないだろうか。そう。実央がみやこカフェでフーチャンプルと豚の角煮を運んでいた。この場面を見てから、もうフーチャンプルーと豚の角煮が食べたくて食べたくて仕方がなかった。すぐにフーチャンプル定食そして、豚の角煮を注文する。もっとも、豚の角煮はらふてぃと表記されていた。どうやら、沖縄では豚の角煮をらふてぃというらしい。中国語が由来となっているそうだ。
定食についてきた汁物を飲む。和風のスープに錦糸卵が入ったスープを口に含む。これがたまらなく美味しかった。なにせ、この日の最高気温は34℃である。そんな中、国際通りを端から端まで歩いてきたのだ。そこに塩気のきいた汁物。美味いに決まっている。さらに、もずくも絶品だ。お酢が効いていてさっぱりいただける。次にメインのフーチャンプルだ。フーチャンプルはお麩と野菜を炒めたものだ。まずはお麩をいただくことにした。お麩にはたまごが絡まっていて、ほどよく焦げ目がついている。口に入れた途端焦げ目の風味が口の中に広がる。特筆すべきはお麩の食感だ。一般的な丸い麩ではなく大きく弾力もある。お麩というより高野豆腐に近いだろうか。独特な食感で食べ応えもあった。そして、キャベツやにら、にんじんといった細切りにされた野菜のシャキシャキ感も合わさり食感の相乗効果を生み出している。



 らふてぃは箸で切れるほど柔らかでしょうゆの風味が効いた甘めの味付けだった。どうやら泡盛と一緒に炊いているらしい。それもあってより甘く感じるのかもしれない。付け合わせにはオクラとにんじんのねじり梅が添えられている。オクラの緑とニンジンの華やかな橙色が彩りを添える。こちらも味がしみ込んでいて絶品だ。とにかく最高だった。一口一口を噛み締めながら箸を進めた。

夜の国際通りにて
 夜の国際通りはきらびやかだ。ネオンが輝く。夜は昼と比べ涼しい。私を苦しめた太陽は消失していた。しかし、完全に日が暮れたわけではなく、薄暮であった。格段に活動しやすくなった国際通り聖地巡礼をすることにした。
 まず、映画で描かれている場所を探すことにした。映画を実央がよく見てみると、実央が国際通りを歩くシーンで赤く細長い立て看板があるビルが描かれている。ハイサイおきなわビルという文字が見えた。私はこの文字を頼りにそのビルを探してみることにした。Googleでビルを検索してみるとすぐに見つけた。しかし、このビルどこかで見覚えがあるような。写真を振り返ってみてびっくり。昼の間に撮っているではないか。昼間のあいたはここをまったく認知していなかった。たた、国際通りっぽいなと思って撮っただけだ。赤い色使いが国際通り、沖縄の南国のイメージを体現していると思った。まさか映画に映っていた場所だったとは。

 間違いなくここを実央が歩いていた。私は実央が通ったであろうルートを歩く。ハイサイおきなわビルから国際通りをまっすぐ牧志駅方面へ歩く。道中には多種多様なお土産屋。ステーキハウス(沖縄はステーキ文化が盛んらしい。本当によく見かける)。島唄ライブが楽しめる沖縄料理店。みな自分の色に光っている。昼間と比べ格段に人通りは多くなっている。歩く人は皆楽しそうだ。それと対照的に、映画の中では実央は国際通りを歩いていった。このきらびやかな国際通りだからこそ実央の悲しさが際立つ。悲しさを表現するにはうってつけだと肌で感じた。
 しばらく歩くとてんぶす那覇と呼ばれる建物が見えてくる。ガラス張りのビル一階にはローソンもあるためすぐにわかる。ここを曲がると先ほどの華やかさとは打って代わり、電灯もまばらで薄暗い通りに入る。一本入るだけで印象がまるで違う。右側にはホテルや飲み屋があるが、左側には希望ヶ丘公園という大きな公園があるため光は少ない。道沿いに設置された公園のトイレには地元の人がたむろしていた。この道を道なりに下ると右手に小道が見える。桜坂通りだ。この道に入ると見えたのは桜坂劇場であった。そう。駿が実央と電話していたあの桜坂劇場だ。



 白亜の鉄筋の建物でガラス張りのおしゃれな建物だ。2階もガラス張りになっているが、正方形ではなく上部が曲線グラフの線のようになだらかに盛り下がっている。それが、またよい味を出していた。桜坂劇場は映画館なのだが見た目からは映画館だとは思えなかった。駿が立っていたところに私も立ってみる。前にはシーサーの像が立っている。真正面から見たら、おそらく私の姿はシーサーに隠れてしまうだろう。映画には描かれていなかった。映画では省略されたのだろう。横の喫煙スペースからたばこの匂いがただよってくる。
 1階にある受付のカウンターはまるでカフェのようだ。2階に続く階段もあり、下のスペースを利用して本がずらりと並んでいた。その前には、お土産もあった。桜坂劇場オリジナルのポストカードを手に取る。私がここにいたという事実を物質化したかった。
 駿がここにいたということは、映画を見ていたのだろう。高速船を降りた後、空港へいきその後、桜坂劇場で映画を見たのだ。私も映画を見ようか。いまなら20:30からの映画がある。いや、さすがに沖縄まできて映画はよいだろう。
 ここに来たからにはやりたいことがあった。それは、桜坂劇場から桜坂ライブハウスまで駆け足で走ることだ。桜坂ライブハウスとは、実央が駿に電話をかけた時にいたライブハウスだ。電話で話した駿はいてもたってもいられず実央のいるライブハウスまで走る。雨に打たれ肩で息をしながら走る。ドラマチックなシーンである。駿と同じ体験がしたかった。まさに、駿と同じ場所に立つ私。人通りが少ないことを確認する。心の準備は万端。私は駆け出した。通りを出ると交差点に出る。車が来ないことを確認しながら信号のない横断歩道を渡る。飲み屋がならぶ道を入る。するとライブハウスが見えた。あれ、早くないか。時間にしてわずか47秒である。そう、このふたつはとても近くにあるのだ。ぜんぜん息も切れていないし疲れてもいなかった。駿よ、お前どれだけ体力がないのだ。噂には聞いていたが、まさかこれほど近いとは思わなかった。しかも、駆け足でこれだ。全力疾走すれば30秒でいけるのではないかと思う。
 ライブハウスは、黒い正方形の建物で、Centralという文字がネオンライトで型どられていた。しかし、残念ながら営業しておらずネオンライトはついていなかった。それでも間違いなくこの店であった。この店の横にトンネルのような通路があった。奥に階段があって薄暗い。近くにスナックがあるらしい。その看板が怪しく光っていた。ここが実央がいた場所だ。私は通路に入り、実央と同じように身体を壁につけて立つ。すると、実央の気持ちが自然と湧き上がってきた。



 せっかく帰ってきたのに、駿に冷たい態度をとられたあげく彼女でもつくればいいといわれるのである。失恋と同じだ。手に持っていたスマホを耳に当てた。電話がなったわけでもないのに。しかし、そうしたくなった。実央に寄り添いたかった。私は目をつむった。トンネルの細い路地だからだろうか。圧迫感を感じる。熱気が立ち込めている。薄暗い蛍光灯が陰湿さを強調していた。向かいの斜め前の居酒屋からは飲んでいる人々の笑い声と明るい曲調のJPOPが流れてきた。しかし、左右を壁に囲まれた通路によってその音が耳に届くのをさえぎった。鮮明に聞き取れずもやがかかったようだった。それがいっそう孤独を際立たせた。まるで、自分だけ隔離された気がした。壁と同化して自分という存在が消えてしまったような気分になった。こんな場所に実央はひとりでいたのだ。そこにいたとき、私は一瞬実央になっていた。実央の気持ちと同調したのだ。



 この一連の出来事はもっとも興味深く心に残っている。まず、桜坂劇場からライブハウスまで走った時、私は駿の気持ちがわからなかった。つまり、駿が息切れしたことに共感できなかった。身体的に共感できなかったといってもいい。しかし、実央がいた環境は物理的にも孤独を感じる場所であった。そこで過ごしていると実央の気持ちが立ち現れた。つまり、身体的に共感できたのだ。
 私は、このライブハウスの出来事から、実央の気持ちが痛いほど分かるようになってきた。沖縄本島での喧嘩の原因、それは高速船で駿が彼女でも作ればいいのにと言ったことにある。実央は人と目が合うことが苦手だ。しかし、できるようにがんばったと本人はいう。それに対してちゃんとしてるなと返す駿。このとき実央はうれしそうな表情を浮かべる。当たり前だ。がんばったのは、駿のためだからだ。駿といっしょにいるために苦手な接客を学んだわけだ。実央は非常に献身的な男だ。なのに彼女でも作ればいいのにと言われる。国際通りを歩く実央には絶望しかないのだ。どんなに努力しても報われないという事実を突きつけられる。私自身、恋人のいる相手を好きになった時の苦い思い出を思い出す。胸が苦しかった。実央も似たような気持ちなのだろう。もちろん、実際に旅している時はこんなことは思っていなかった。ただ、悲しい気持ちで歩いていたんだという認識だったが、実際に国際通りを歩き、ライブハウスに立ったことで、実央の具体的な悲しさを理解できるようになった。
 ライブハウスを離れた私は国際通りへと戻る。作中では二人は雨の中これからホテルを探しにいくはずだ。彼らはどんなことを思いながらホテルを探したのだろうか。そんなことを思いながら私は国際通りを抜けて今晩泊まるホテルへと向かった。

飛行機にて
 帰りの飛行機の中で私はノートに旅の出来事をまとめていた。すると客室乗務員に「読書灯をお付けいたしましょうか」と聞かれた。読書灯なんてのものがあるのか。お言葉に甘えて読書灯を付けてもらう。
 今回の海辺のエトランゼ聖地巡礼の旅は、非常に充実していた。一番心に残ったことはなんであっただろうか。座間味の海はこの世のものとも思えないほど美しかったし、念願だった島宿あかばなーに行けたことは本当にうれしかった。フーチャンプルは想像していた以上に美味であった。それでも、桜坂での経験が忘れられない。あの時、自然と実央の気持ちが湧きあがってきた。実央が私の中に降りてきたという表現がぴったりであろう。憑依といってもよいかもしれない。憑依というとなんだか怪しげな印象を抱くかもしれない。しかし、そんなことはない。ドラマや映画などでの俳優が名演技を思い出してほしい。登場人物になっているとしか思えないような演技だ。それに対し私たちはまるで憑依しているようだと表現する。そんなイメージだ。もちろん、この経験がそこまで高尚な経験だというつもりはない。実央の気持ちが降りてきたのは、ほんの一瞬であるしすぐに途切れてしまった。だが、確実に私は実央になっていた。
 ここまで書いてきて、聖地巡礼とはなにか定義することができる。それは実際に現地にいき五感で、身体で感じることでキャラクターを自分自身に受肉化することなのである。わかりやすくいえば、キャラクターになるということなのだ。現地にいき、そこでキャラクターの行動の軌跡をたどる。その過程で2次元では表現しきれないにおいや感触を自分の身体レベルで感じるのだ。2次元の存在を自分の身体を通じて受肉化する。そうしてキャラクターの感情を理解する。それこそが聖地巡礼なのだ。
 今回の聖地巡礼を行ったことで映画や漫画を見ていては感じ取れなかった細部のニュアンスまでも感じ取れるようになった。それはより作品を楽しめるということを意味する。今回の一番の収穫は実央に共感できたことだろう。いままで駿の方に感情移入して読んでいた。私がブログで描いたのも駿目線で論じたものが多い。今回の旅でそれまで見落としていた実央の心に気が付いたのだ。
 キャラクターに憑依する。そのためにはどうすればいいのだろう。それはキャラクターへの共感と高い集中力だ。むろん、並大抵のことではない。あの時、すくなからず人通りはあったため、恥ずかしさが憑依の邪魔をした。さらに、彼らが物語の前後に何をしていたのかを理解しておくことも重要だ。キャラクターの前後の感情の流れを理解していなければ、気持ちも入らない。また、ゆとりのある時間が必要だ。現地に赴き、ゆっくりと時間をとり、しばらく観察しつつその場に留まることが重要だろう。そうすれば、おのずとキャラクターの気持ちが湧いてくる。正直座間味ではあまりキャラクターの気持ちになることは少なかった。なぜなら、座間味の滞在時間は約4時間。あまりにも時間が少なすぎた。あせっていた。細部にまであまり気を配れなかった。
 憑依とは想像力といいかえることができる。想像力はすべての根源だ。想像力とは人間を人間たらしめるものなのだ。想像力があるからこそ、相手の気持ちを理解できる。相手の立場に立てる。だから、他人に共感できる。実央の経験に共感できたのは自分自身の過去の体験を通して実央の感情を理解したからだ。もし、自分が実央であったらどんな気持ちになるか彼の立場になって考えることなのだ。共感とはすなわち他者理解なのだ。この他者理解が一定の境地に達した時、自身の人格と他者の人格が融合する。これが憑依の仕組みだ。
 最後に一つ。憑依と想像力は重要な関係をもっていることはすでに述べたとおりだ。私たちは想像力は脳の働きであると、ついつい思ってしまう。しかし、そうではない。想像力とは身体全体の働きなのだ。例をあげよう。さきほどの客室乗務員は私がノートに書いているのを目で見た。客室乗務員は私の身体に同調して、飛行機の席に座りノートを書いている私に乗り移った。私の視点に立ち、そして彼女は今までの経験から考える。やがて日が暮れ暗くなる。そうなっては見えづらくなって書きづらいだろうなと推測した。だから、私に読書灯を勧めたのだ。私たちはそのようなことを無意識に行っているのである。このように想像とは身体全体を使うものなのだ。
 私にとってこの旅とはなんだったのか。実際に旅をして身体で感じることで未央たちのことを想像し共感できた。そう。この旅は私が他者への想像力を獲得する身体修業の旅であったのだ。
 ピンポンと音が聞こえシートベルト着用のランプが点灯する。そのとき、機内放送が入った。飛行機はすでに着陸態勢に入っていてもうすぐ着陸するらしい。私は窓の外を眺める。地元は雨が降っているらしく、すこし揺れている。窓の外は漆黒だ。飛行機が斜めになると急に光が漏れた。見慣れたはずの町の夜は無数の丸い光によって形作られていて故郷とは思えなかった。ああ、旅が終わる。もうすぐに住み慣れた町についてしまう。日常が目の前に迫っている。しかし、思い起こせば実央と駿は私の身体に現れる。私の身体の中に実央と駿はいまも息づいている。

 

『海辺のエトランゼ』京屋の間取りの特定に成功しました。

 京屋の間取りってどうなっているのだろう。何回目かの映画『海辺のエトランゼ』の鑑賞でふと思いました。映画では京屋という民宿が主な舞台となっています。キャラクターたちが縁側に佇んでいるシーンが、何度かあります。しかし、庭や景色が違っていることから縁側は複数あるようです。また、京屋の主人であるおばちゃんはカフェも営んでいます。京屋には複数の建物があるようです。京屋のさまざまな場所で物語が進みます。それが意識的に描き分けられている。そんな印象がありました。そこで、きちんと調べてみようと思いました。なお、原作と映画ですこし間取りがかわっているのですが、今回は映画版を基準にしています。映画版の方が情報量が多かったためです。また補助的に原作も用いながら進めました。結果、京屋の間取りを図1にまとめました。これで矛盾がないようにすべての場面の場所を説明できます。

 

 海辺に京屋ののれんが掛かっている母屋があり、裏から見て右側にみやこカフェが、左側に駿と実央の部屋があります。このようなシンプルな構造になっています。そして、駿と実央が出会う例のベンチの位置も特定しました。これからくわしく解説していきます。
 なお、この記事の特性上、解説に映画のスクリーンショットを載せるべきなのですが、著作権が怖いのと私の環境だとスクリーンショットが用意できませんでした。非常にわかりにくいとおもいますがご了承ください。

1.京屋
 京屋ののれんが掛かっている母屋。皆さんも印象にのこっているのではないでしょうか。石垣に囲まれ、赤瓦の屋根をもつ民家。実に沖縄らしい家といえるでしょう。まず、この母屋の位置の特定からはじめました。といってもこれは簡単でした。まず、この母屋が海に面しているイメージがみなさんにもあると思います。漫画『海辺のエトランゼ』の表紙はこの京屋の玄関を出ようとしている駿と実央が描かれていました。その先に広がるのは透き通った海です。ここで、もう海側に母屋と玄関が面していることがわかります。
 さて、母屋の位置がわかったところで、母屋の間取りについて述べていきます。母屋の間取りは、映画版で詳細に描かれています。冒頭、駿と釣りを終えた実央が京屋の玄関で立っているシーンです。
 真ん中が渡り廊下になっており、玄関を入って左側にキッチン兼ダイニングルームがあります。みんなでいただく食事がとてもおいしそうでしたね。その右側にはふすまがあるので部屋があることが確定でしょう。しかし、この部屋がなんなのかは判断できません。これについてはあとで述べることにします。
 この渡り廊下の突き当たりにはガラス扉があります。このガラス戸を駿が空けているのですが、この時の動きの演技が興味深いです。駿は扉を開ける前に立ち止まり縁側にあがるという演技をします。そして、中をよく見ると突き当たりの廊下が左右に伸びてT字のようになっていることが分かります。このことから縁側と内廊下があるというのがわかります。これらは非常に重要な情報です。このふたつが右側の部屋の正体を明らかにしてくれるからです。
 映画冒頭、勇気を出して以前から気になっていた実央にあいさつする駿ですが、完全に無視され落ち込んでいる時のことです。庭のテーブルで駿は執筆にならないほど落ち込んでいます。ここでおばちゃんが登場し、上で野菜をもらってくるようにお願いします。このとき部屋の様子がうつしだされます。内廊下がありその奥に部屋があるという構造になっており、かつ縁側もあります。このことからここが母屋の右側の部屋なのではと睨んでいます。駿が倒れ鈴が看病していた部屋とそのあと駿と絵里が月を見ながら話す場所もおそらくここでしょう。部屋にふすまがあるからです。京屋のなかにふすまがあるのは、母屋しかありません。この部屋でおばちゃんが洗濯物をたたみ、庭に洗濯物を干しているのでおばちゃんの部屋と思われます。さすがに客室の前で洗濯物を干したりたたんだりはしないでしょう。
 京屋の母屋部分の間取りを記すと以下のようになります。


2.みやこカフェ
 次はみやこカフェになります。みやこカフェは作中でも郡を抜いての情報量のなさですが簡単でした。まず位置関係ですが、これは、正面からみた京屋の後ろというのは確定です。(駿と実央の部屋についてもおなじことがいえます)海側から見た京屋の外観からは他の建物の陰が見えないためです。
 映画の冒頭、みやこカフェの全体像が一瞬映し出されます。赤瓦の屋根に建物向かって右側に縁側とガラス戸。そして、左側にみやこカフェと描かれた看板と入口がある。これがみやこカフェの貴重な情報源です。特徴的なのはテラス席があることと奥になぜか鳥居があることです。この鳥居がなにか全然わからない。奥に神社があるのでしょうか。ここはわかりませんでした。
 あとはどのような配置かという話になってきます。実はみやこカフェのモデルが存在します。名前は出していいのかわからないので出しませんが、海辺のエトランゼの舞台である座間味の民宿です。民宿の横でカフェもやっているらしく写真を見てみたらびっくり。みやこカフェにそっくりでした。さらに奥に鳥居があり、確信に変わりました。この民宿の少ない画像を頼りに構造を把握しそのままあてはめてみるとこのようになります。(図3)


海沿いから見た京屋は左右の石垣に路地があるように見えます。しかし右側は路地ではなく、みやこカフェに続く道なのです。
 さて、京屋の部屋がおばちゃんの部屋ならどこに客室があるのかという疑問があります。駿と実央の部屋はもともと客室だったのでしょう。原作で駿が部屋を借りていると述べていることからもそれはわかります。しかし、これでは客室がなくなってしまいます。作中では人が泊まりに来ていました。これはモデルとなった民宿を基準に考えると解決します。みやこカフェに客室があることになります。みやこカフェだと思っていた建物は実は客室なのです。みやこカフェはかなり小規模な店なのです。
 ちなみに鳥居の意味は元ネタを見てもわかりませんでした。


3.駿と実央の部屋
 最後に、駿と実央の部屋です。この部屋の配置が難解で、私を混乱に陥れた張本人なのです。この部屋の配置が決まらず、どうしても矛盾が生じてしまって参ってしまいました。
 この部屋、特徴は多いんですね。部屋の壁一面に咲いた花。実央の部屋からは奥に木の門があり、別の建物へ繋がっていますことができます。
 私はこの部屋が海沿いにあると思っていました。根拠は駿の元婚約者・桜子が島へ訪ねてきてバイト帰りの実央に挨拶するシーンです。このカットは建物と塀が平行のアングルで描かれています。右側に桜子と建物。そして、対立するように左側に実央と塀が配置されています。私はここは駿と実央の部屋だと思っていました。しかし、背景が合わない。このアングルから描かれた背景に注目すると、奥には山も見えない。障害物がない。つまり、海岸に接してるのです。しかし、矛盾が生じます。だって、海に接しているのは京屋の母屋です。あれ、と思いました。ということは京屋のすぐ右後ろに部屋があるのかと思いました。つまり、みやこカフェの位置に駿と実央の部屋があると考えていました。これではいかんせん海が遠い。京屋は挟んでいるようには見えない。
 そして矛盾といえばもうひとつどうしても解決できなかったシーンがありました。序盤、みやこカフェで接客している駿。空のビール瓶を出入口に置きます。ふと右の方を見ると、細い路地の先にベンチに座っている実央が見えます。つまり出入り口が右側にあり、その路地からベンチが見えるという位置関係になっています。ところが、駿と実央の部屋をみやこ
カフェの位置に置くと、ベンチの位置がおかしくなってしまいます。この路地とベンチの関係がどうしても解決できなかったのです。
 この矛盾をどうにか解消しようといくつもパターンを考えました。しかし、ひとつ解決すればどこかに矛盾が生じる、そんないたちごっこをずっと繰り返してました。正直映画スタッフは感覚で作ってるので、矛盾があってもおかしくないのではと思っていました。急いで付け加えると矛盾はまったく起こっていませんでした。
 どうにもいきずまってしまった私。これは私の経験ですが、行き詰まるとき、それは情報不足か考え不足かどちらかであることが多いです。だから、もう一度映画を見てみました。突破口に気づいたのは、実央が発した言葉で駿を傷つけたことを謝っているシーンです。実央が駿の元に訪れますが、壁一面の花があることから駿の部屋ということは確定です。そして、絵里がやってきて実央をからかいます。このとき後ろに家が建っている。おかしい。もし、桜子と実央のシーンが同じ場所で起こっているとしたら、海沿いに家があることになり、辻褄が合いません。もう一度例のシーンを確認してみることにしました。すると、桜子の後ろにはふますが映っています。
 さきほど私はふすまは京屋の母屋にしかないと言いました。そう、つまり桜子のシーンは駿の部屋で話していたのではなく、母屋の縁側で話していたのです。これならば、矛盾は解決されます。
 なぜ、駿の部屋で話していたと誤解してしまったのか、駿と話すのだから駿の部屋だろうという理由もなく決めつけていたからでした。そうなると、駿と実央の部屋は海沿いという制約がなくなります。そうして、現在の位置に落ち着きました。
 ベンチと路地問題も解決できます。みやこカフェの裏に駿と実央の部屋があり、そこに出入口もあります。みやこカフェからビール瓶を運び、外に置いたのです。この位置なら右を向けば路地の奥にベンチが見えます。図に表すと以下の通りです。(図4)

矛盾はなくなります。さらによく見てみると空き瓶を置いたのが、駿と実央の出入り口という証拠を見つけました。花壁が写っているシーンをよく見ると花壁の上に棒が無数あるのが確認出来ると思います。これは花を固定するための棒なのです。この棒が裏路地のシーンにもはっきりと描写されています。このことからこの出入り口は駿と実央の部屋の場所だとわかりました。

以上見てきたように、京屋の構造を特定しました。初めはこんなことナンセンスだと思っていました。正直そこまで設定してないだろうと高を括っていました。しかし、そんな考えは捨てました。京屋の配置は矛盾なく設定されていたのです。ふつう、観客はストーリーを楽しむ上で京屋の間取りを知らなくてもいいのです。しかし、位置を知ることで浮かびあがってくるストーリーがあります。たとえば、実央に言われた一言で駿が倒れ、目が覚めた時なぜ駿の部屋ではなくおばちゃんの部屋で寝ていたのか。おそらく、実央は駿が倒れたとき急いで京屋に助けを求めたのでしょう。実央は駿が京屋の従業員というのを知っていましたから。ところが、そこにはおばちゃんと絵里しかいなかった。実央がいるとはいえ気絶した成人男性を運ぶのは一苦労です。そこで、離れにある駿の部屋ではなくより近いおばちゃんの部屋に寝かせたのではないでしょうか。そのときの慌て具合が目に浮かぶようです。これは間取りを知っているからこそ想像できるのです。このように、間取りを把握するともう見尽くしたと思っていたストーリーの裏側を想像することができるのです。

 



『春風のエトランゼ』3巻、4巻感想 ~愛やがて変容す~

「大丈夫だよ」その言葉にどれだけ救われただろう。 

わたしの「春風のエトランゼ」が好きなところはどんな生き方も肯定するところだ。駿のゲイであるけれど、そんななかでも生きようとしている。そして、駿が好きになった実央も同じだ。周りのひとは、攻撃するが、それでも男が好きでもおかしくないよと肯定してくれる。そんな彼らに私は勇気をもらっていた。会社でうまくいかず疎外感をもっていたわたしもマイノリティだった。彼らの生き方が肯定されるのを見て未央の言葉を借りると「生きるのがラクになる」っていたのだ。

 

 3巻では、彼らの同性カップルだからこその葛藤が描かれる。駿は実央になにかを与えたいと悩み続ける。そこで、ギターを買い与える。だが、釈然としないというか答えはでていない。

 そんな中ふたりの関係に大きな変化が起こる。駿の小説が売れたのだ。知名度が上がることで取材が殺到することだ。だが、作品の内容というよりはゲイとしての駿が注目される。嫌気が指していた駿と実央。沖縄からきた絵里と鈴をもてなすため、居酒屋で宴会を催す。それが記者にみつかり、おもしろおかしく記事が書かれてしまう。実央は怒るが駿は気にしない。週は焼いていた芋を実央に与える。そして、記事の書かれた雑誌を燃やす。それと同時に、なにかしてやりたいということの答えをみつける。

 その答えは長生きすることだ。「俺は徳の低いから物以外でお前相手にやれることなんて先に死なないくらいしかない」という。つまり、駿は実央とともにいるということを決意したのである。自分たちのことを書かれた雑誌を燃やすことで、好奇な目を気にしない。愛する人とふたりで生きることを貫くという決意だ。実央は駿と共にいるだけで満足だった。それと同じで、駿もまた長く実央と共にいるだけでいいのだと悟る。ふたりの思いは通じあう。駿と未央という同性カップルの物語としてはきれいな終わりなのだ。それは、同性カップルというマイノリティの肯定である。

 

 これはもう終わりかなと思っていたら、まさかの「それから5年経ちました」ある。そう第2部のスタートである。ここから話は第4巻に入る。そして、この第4巻はわたしの感想としてあまり評価は高くなかった。正直なところ困惑してしまった。3巻までは駿と実央カップルの話を軸に周りの人の話もあるという構成だったのが、駿の両親の養子であるふみと桜子との話を軸に駿と実央の話があるという構成へと変化する。BL要素が少なくなったのだ。わたしは駿と実央の話が読みたいと思っていたからこそ、どうしても評価が低くなってしまった。

 また、駿と実央の関係性も変化している。それまで、「なぜ男が好きなんだろう」とか周囲の好奇な眼差しといった同性愛というマイノリティならではの葛藤が描かれていた。しかし、4巻以降の彼らは、5年間一緒にいてマンネリ化や停滞期が主な問題になっている。

 誤解を恐れずいうなら彼らはマジョリティとなったのだ。マンネリ化という一般的な夫婦にも起こりうる問題にふたりは直面する。マイノリティ的な葛藤からマジョリティ的な葛藤にシフトしている。

 

 マイノリティだからこその葛藤に勇気をもらっていた私にとって、マジョリティ的な問題で悩んでいる彼らを見ているとどこかさみしくなってしまう。ああ、もう彼らは成長したのだなと思うのだ。もちろん成長とはよいことなのだ。しかし、ふたりを心のよりどころとしていたわたしはこれからなにをよりどころにすればいいのかと複雑な気持ちになってしまう。

 これが困惑した理由なのだ。彼らはもう夫夫(ふうふ)なのだ。よしながふみの漫画「きのう何食べた」でも結婚のないゲイにとって同居が結婚なのだといってたように、駿の実家で同居しているふたりは結婚生活5年目の中堅夫婦といっても過言ではない。

 そう。海辺のエトランゼから春風のエトランゼの1〜3巻は駿と実央の同性カップルの話ならば、4巻以降の第2部は夫夫(ふうふ)としての物語と分けることができる。

 

個人的にこの解釈は腑に落ちた。この発見があったうえで、もう一度4巻を読んでみることにした。……あれ、面白い。少なくとも初めて読んだ時より抵抗感はない。ここで私は気がついた。つまり、4巻で駿と実央は夫夫になっているのに私はカップル的な甘い話を求めていた。夫夫の物語に、カップルを見出そうとしていたからこそ、読んでいてなにか違うなと思ってしまったのだ。長いことキスをしていないエピソードがでてくる。ここでも、寂しくなっていたのだが、5年も共にすればキスも少なくなる。だからといって愛が無くなったわけでは無い。愛所の形がキスなどの肉体的愛情から精神的愛情へと変化するのだ。

 これは3巻、4巻と続けて読んでしまった私も悪いかもしれない。3巻の終わりでいきなり5年後となるからもう続きが気になって気になってすぐ4巻を読んでしまったのだ。カップルとしての話は描き切っていたのだが、いきなり5年後に話が飛ぶので、てっきりカップルの話が続くと思ってしまった。カップルの話が終わったと心構えする前に読んでしまったからこそ、初めて読んだ時の評価が落ちてしまったのだ。

 

同性カップルの話ではなく、結婚して5年だった夫婦の物語として読んでみると納得できる部分がある。例えば、実央が手を繋ぐかと誘うと駿は断る。昔の彼らだったらすぐ手を繋ぐだろう。そもそも、なぜ手を繋ぐのか。相手がそばにいることを手という肉体で感じたいからだ。 しかし、5年もいればわざわざ手を繋がなくてもそばにいることがわかっている。夫婦生活が5年になって手を繋ぐ夫婦はなかなかいないだろう。(別に手を繋ぐ夫婦がいてもいいとは思うが)もし4巻以降BL要素が少なくなって面白くなくなったと思う人がいたら、夫夫の話として読んでみるとまた違った印象を抱くかもしれない。

 

 そのようにして読んでみるとふみという擬似的な子どもを育てる良い夫夫なのだ。ふみは駿の義弟であるが、反抗期も両親ではなく駿と実央に当たる。春風のエトランゼは橋本家を中心とした家族の物語なのである。

 そう考えるとすべてを肯定するという作品のテーマは変化していない。ただ題材が変化したのだ。第1部が同性愛の話ならば、第2部は家族の話である。橋本家の面白いところは例えば、駿は兄だが父親的な側面をもっているし、実央は家事全般を代理で行う主婦である。とったように、家族がひとつの属性に染まらずさまざまな役割を柔軟に担っている。あらゆる形の家族を受け入れる。これが第2部のテーマであり、本質的にはテーマはぶれていない。

 

 このように題材は変化しているとはいえテーマは変わっていないし、駿と実央の話も以前より多いわけではないが描かれている。では、何がわたしをここまで動揺させるのか。「海辺のエトランゼ」「春風のエトランゼ」の第1部は、駿と実央のカップルは周りの人から異質であるとか、気持ちが悪いと拒絶されていた。しかし、ふたりは別におかしくないと肯定する。これが流れだった。しかし、2部以降二人の関係を否定する人は(いまのところ)でてこない。たとえば4巻で未央の同僚は、未央の恋人が男とわかっても否定もせず、あくまでそうなんだと受け止める。また、ふみの運動会に駿と実央が来ていても変に注目されない。このように同性愛がごく当たり前のことだと受け入れられている。

 この描かれ方の変化は現実世界のLGBTQの理解が進んだことが理由であると思う。ここ数年でLGBTQのことを見る機会が増えてきていないだろうか。思い返してみればニュースやドラマなどでよく目にする。一昔前ならありえない状況だ。

 海辺のエトランゼが書かれたのは2013年から2014年、「春風のエトランゼ」第1部は、2015年から2017年だ。この2010年代中期はLBGTが少しずつ台頭してきた年だった。たとえば2015年、東京都の同性パートナーシップ施行が施行されたことで大きくニュースに取り上げられている。しかし、人々の間にはまだ抵抗感があった。そんな時代に「海辺のエトランゼ」は描かれた。だからこそ、同性愛は拒絶される。ところが、そこからさまざまなメディアに取り上げられることでマイノリティは徐々に今は理解が進んだ。結果、同性愛は当たり前という認識に至っている。だから、4巻以降マイノリティを拒絶するものはいなくなる。

まとめると以前はマイノリティを書くときは、周りは拒絶するが、自分たちは肯定するという描き方だったのが、マイノリティの理解が進むにつれ、同性愛は当たり前だよね。という描き方へと変化している。このように現代における同性愛の理解の流れと作品はリンクしている。

 

 拒絶から受け入れられるというプロセスから、初めから受け入れるというプロセスになっている。拒絶というプロセスがあるからこそ受け入れられる。この構造がわたしの境遇とマッチしていたからこそ共感が強かった。時代の流れによるストーリーの変化こそわたしがあまりのれなかった原因であった。第2部は明確な拒絶が描かれることがない。時代に合わせた表現方法といえる。しかし、だからこそテーマが第1部に比べ、弱くなっている印象を受ける。拒絶があるからこそ受け入れる行為が際立つのだ。以上のようなことで前よりパワーをもらえなくなったのだ。

 

おそらく、もう昔のようにわたしが勇気づけられるような描かれ方はされないだろう。とはいえ、エトランゼを読んで勇気づけられていた事実は消えないし、「海辺のエトランゼ」や「春風のエトランゼ」第1部を読めばいつだってわたしを励ましてくれる。それに家族愛やふみの恋が描かれるエトランゼもなかなか悪くない。なんだかんだ言ってわたしはエトランゼシリーズが好きなのだ。どうやら今秋5巻がでるということなので楽しみに待ちたい。

 

四季めぐる

『春風のエトランゼ』紀伊カンナ 1~2巻感想 ~メランコリーと駿~

 メランコリーと小説家は切っても切れない関係にある。そう説いたのは文芸評論家の三浦雅士である。メランコリーすなわち憂鬱のことだ。三浦は著書『メランコリーの水脈』で三島由紀夫筒井康隆などの作家を例にあげ、いかにその作品に鬱が表れているかを説いた。なぜメランコリーに染め上げられているか、三浦はあとがきでさまざまな原因を述べている。一番わかりやすい理由はこうだ。「書くということ自体がメランコリーと密接な関係にあるのではないか」私の解釈では、つよい憂鬱にとらわれたものは、鬱を解消しようとするために書くのではないか。鬱を作品に昇華することで正気を保っているのだ。

 

メランコリーな駿

 

 小説家である駿もまたメランコリーの気質をもっている。例えば1巻で、駿と実央はふたりで駿の実家がある北海道を目指す。その最中に、実央は「今がずっと続けばいいな」「ずっと一緒がいい」という。駿は「ずっと」という言葉に対して、悲しくなる。いつか壊れるかもしれないという恐怖からだ。未来に対する恐怖といってもいい。2巻では定職につかず、貯金もろくに無く、実家暮らしという状況に危機感を露わにする。さらに「今まで生きてきた中で今が一番幸せだな」といっているにも関わらず「うまくいきすぎてコエー」ともいう。このように未来に対する恐怖が憂うつとなって駿にまとわりついている。

 

 実央と出会う前からどこか陰うつな駿であったが、むしろ実央と出会ってからその気質は増したといってよい。逆にいえば、そのうっ気が駿は小説家をつづける原動力といっていい。

 

 このように駿の憂うつな気質について分かっていただけたと思う。さて、先ほどの三浦雅士の著書『考える身体』から映画監督ダニエルシュミットの映画ついて述べた箇所がある。そこに書いてあることにも興味深い。

 

 あまりにも情愛が深いため、愛の対象が消え去ってしまうだろうことを、失われる以前にすでに惜しんでいるのである。失われてしまうに違いない、なぜならこれほどまでに愛しているのだから。

 

この感情を三浦はメランコリーだと述べている。しかし、この感情をどこかで見たことはないだろうか。私は駿のことだと直感的におもった。彼が実央になにかしてやりたいと執着を持つのは、引用したような心理が働いているのではないか。愛が深すぎるがゆえに失われてしまうのが怖い。これが未来への恐怖の根源である。

 

与えること

 実央は駿へ無意識的にいろんなものを与える。例えば、駿が未来への不安を漏らしたとき、実央は「なんとかなってるじゃん」と励ます。実央は駿のすべてを肯定する。ゲイであること、小説家であること、実家暮らしであること。どんな生き方も肯定してくれる。そのうえでずっと一緒にいたいと言ってくれるし、そばにいてくれる。このどんな生き方も肯定するという考えは作品の根底に流れているテーマと一致する。作品内にはレズビアンカップルも登場するが、マイノリティを否定的に描かない。それはエトランゼシリーズのテーマが多様性を受け入れることだからだ。

 

 ある日、駿は未央と性的行為のときに我に返ると実央に告白する。駿は同性愛者だが、実央は駿が好きな異性愛者である。健全なやつになにさせているんだろうと思ってしまうのだ。その夜、寝室でふたりが睦言を交わしているときに未央は駿に問う。「そんなに普通がよかった?」と。さらに続ける。「ひとりきりで不安でも 誰かが呼びかけてくれたり 大丈夫って言ってくれたら 少しラクになるよね」と。「ラクって」と駿は聞き返す。「生きるのが?」と実央は返す。これは、前作で両親をなくした実央が駿に声をかけられたことで実央は救われたということをいっている。

 

 しかし、駿にも思うところがある。上記で述べたとおり、駿もまた実央に自分の生き方を認めてもらえた。実央は男が好きになることは普通だと受け入れてくれた。駿もまた生きるのがラクになったのだ。そして、真剣に思う。「こいつが喜ぶことってなんだろう」と自分を救ってくれたからお返ししたい。そこにあるのはそんな純粋な気持ちだ。その瞬間、駿は憂鬱から解放される。

 

メランコリーは終わらない

 こうして実央に救われた駿は、メランコリーから解放された。めでたし、めでたし。とはいかない。現実は甘くない。次の日には実央に何をすれば喜んでくれるのか眉をひそめて悩んでいる。このとき駿はメランコリック状態になっている。駿にとってメランコリーは切っても切り離せない関係だ。

 

 すなわち、駿のメランコリーは終わらないのだ。むしろ憂鬱こそが駿のアイデンティティといっていい。実央はそんな駿を受け入れる。そのとき憂鬱は一時的になくなるけれど、舞い戻ってくる。この一連の流れを彼らは反復する。日常とは反復だ。つまり、これが二人の日常なのである。

 

 なにかしてやりたいと思うとき、普段そっけない駿は実央への愛が溢れ出す。寝ている実央の額にやさしいキスをする。私たちはそこにじれったさやもどかしさを感じる。それが読者を引き付ける。エトランゼの魅力の一部は駿の憂鬱にある。

 

 はたして駿は「なにかしてやりたいこと」の答えは見つかるのだろうか。個人的には簡単にみつからないでほしい。それがエトランゼの魅力だからだ。その答えが出るとき、それが『春風のエトランゼ』の最終回なのではないかと思っている。こんな大口を叩いておいて3巻、4巻で解決していたらどうしよう。それはそれで面白いのだが。

 

四季めぐる